リッジスカイウォーカー

映画 聲の形のリッジスカイウォーカーのレビュー・感想・評価

映画 聲の形(2016年製作の映画)
5.0
中学の頃、障害を持った同級生がいました。
コミュニケーションは全くできません。
常に声にならない声を発しており、近寄りがたい存在でした。
いや、どう接して良いかわからない、という方が正しいかな。
幸い、その同級生に対してはいじめはなかったと思う。

この作品では聾唖者がいじめに合うというシチュエーションになっていますが、「みんなと違う」という近寄りがたさを誰かが感じた時、いじめが始まるのかもしれません。
そこにあるのはみんなとは自分とは違う存在を受け入れられない弱さが引き金になっているのではと感じます。

私が小学校の頃、学級崩壊するほどクラスは荒れていました。
自分は一度いじめを庇った事があったのですが、それにより今度は自分がいじめの標的なりました。

なんでこんな事になるのか。
学校に行くのはホントに嫌だった。
突然、殴られプロレス技をかけられるなどは日常茶飯事でした。

そのいじめっ子とはふとした共通の趣味というキッカケで友達になりましたが、やはり心の蟠りというのは一度生まれてしまったら、消去をするというのは難しいと思っています。
何がキッカケで相手の機嫌を損ねるかわからないという不安は常に付き纏っていました。

本作ではいじめっ子だった主人公が、いじめの対象者が転校した事をキッカケに、いじめの被害者になり、罪の意識に苛まれながら成長します。
母親の行動が良かったとも取れますね。

生きる意味を見出せず自殺を考えるほどに。
精神的な苦痛や孤独に追い詰められていく。
この辺りの描写がリアリティに溢れていて、心が揺さぶられます。

主人公は高校生になって、いじめていた聾唖者と偶然の再会。罪の意識からか手話を覚えていて、コミュニケーションを図ろうと勇気を持って行動を起こします。

この作品のように、いじめの加害者が積極的にいじめの対象者に心を開いていく、罪を滅ぼしていくというのは非常に稀ではないかと思われます。

この点が終始一貫として描かれており、とても良い印象を持ちました。

何にせよ、つらい事と真摯に向き合うというのは、多かれ少なかれ心を削るやりとりになります。
そこを逃げずにいじめの関係者たちが意見をぶつけ合っていく。

その際特に加害者側の反省と歩み寄りの行動が、何より大切になると思っています。


このやりとりは観ているこちらも非常につらい。
しかし、いじめが現実として起きていた場合、蟠りを消去するためにはお互いの本音をぶつけ合うしかないのだと思います。
そこにしか、真の救いはない。

半端な馴れ合いではなく、正面から「許すということは何か」に向き合った本作は、ズッシリとした重さを持ちつつも、最後は良かったと思える着地をしました。

原作の漫画も読んでみようと思います。

本作を生み出した原作者、丁寧で緻密な作画と素晴らしいアニメーションを作り上げた京アニスタッフ、そして命を吹き込んだ声優の皆様にスタンディングオベーションを送りたい。

日本の漫画、アニメ史上に残るべき傑作ですね。


人間、生きているだけでつらいことばっかりなんだから、優しさと思いやりが溢れた世界でいいのになぁ……