映画 聲の形の作品情報・感想・評価

映画 聲の形2016年製作の映画)

上映日:2016年09月17日

製作国:

上映時間:129分

3.8

あらすじ

ガキ大将だった小学6年生の石田将也は、転校生の少女、西宮硝子へ無邪気な好奇心を持つ。 「いい奴ぶってんじゃねーよ。」自分の想いを伝えられないふたりはすれ違い、分かり合えないまま、ある日硝子は転校してしまう。やがて五年の時を経て、別々の場所で高校生へと成長したふたり。あの日以来、伝えたい想いを内に抱えていた将也は硝子のもとを訪れる。「俺と西宮、友達になれるかな?」再会したふたりは、今まで距離を置…

ガキ大将だった小学6年生の石田将也は、転校生の少女、西宮硝子へ無邪気な好奇心を持つ。 「いい奴ぶってんじゃねーよ。」自分の想いを伝えられないふたりはすれ違い、分かり合えないまま、ある日硝子は転校してしまう。やがて五年の時を経て、別々の場所で高校生へと成長したふたり。あの日以来、伝えたい想いを内に抱えていた将也は硝子のもとを訪れる。「俺と西宮、友達になれるかな?」再会したふたりは、今まで距離を置いていた同級生たちに会いに行く。止まっていた時間が少しずつ動きだし、ふたりの世界は変わっていったように見えたが――。

「映画 聲の形」に投稿された感想・評価

じろう

じろうの感想・評価

3.0
上海映画館にて。中国政府の検閲の影響で過度な苛めを描いた場面が20分程カットされた内容での鑑賞。小学生の時にクラスの中心にいた(イジメっ子の為、誰も逆らえない)主人公が、その後、逆に苛められる体験を経て、人格、性格、180度変わってしまう点がとても興味深い。幼少期、青年期の体験がその後の人格形成において多大な影響を及ぼしていることを巧みに描いた作品だと思う。
人生の再出発。
ENDO

ENDOの感想・評価

4.5
みんな繊細過ぎて、傷ついては謝ったり天邪鬼な行動ですれ違いの連続なんだがなんとか交流を持つことで責任追及ではなく寛容さに持っていくのが素晴らしかった。なんか凄く回りくどいし、心を閉ざしてる人への顔に×印が付いていたりメタファー多いけどその微細な優しさによる微妙なすれ違いで疎遠になったり、優しくできたりするのが本当に良かった。泣いた。かつての自分にも忘れてる後ろめたい行動あるはずだものなぁ。
つね

つねの感想・評価

4.0
耳が悪い俺にも教えてくれそのカタチを
noplan1989

noplan1989の感想・評価

4.6
西宮さんと将也の卑屈さを和らげてくれるのが長束くんなのだけど、近くにあそこまで明るい人がいたら、自分の卑屈さが嫌になるだろうなぁとか考えながら観てた。

西宮さんと結絃の関係が微笑ましい。あと1時間ぐらいあっても観られたぐらい、空気感が好きだった。
小林

小林の感想・評価

5.0
良すぎて二度と見たくねえ
なつ

なつの感想・評価

2.0
言うほど面白くないっていうのが素直な感想。主人公の悪いことしたけど今は改心したからいいよね!っていうのが鼻に付く。このやろう。それなのに先生に対しての批判的な感想が多くて腹立つ〜!私は妙に先生に感情移入していたので余計に主人公腹立つ〜!要するに色んな人がいるよね、って話。世間が言うほど面白くない。
たじま

たじまの感想・評価

3.7
主人公の声がイメージとちょっと違った。

それと、原作もこれも観た上で、やっぱりいじめっ子を好きになるいじめられっ子はいないと思う…
せっち

せっちの感想・評価

4.6
原作全巻読んでいたのでストーリーはわかっていたが、京都アニメーションによる綺麗な映像、演出、BGM全てが素晴らしくて感動した。声が入ることによってより感情が伝わってきた。

少年時代の罪は消えるわけではないしいつまでも付き纏う。それとどう向き合い生きていくか。難聴障害の少女とその周りのキャラクター達の複雑な感情とその変化がよく表現されていたし、生きることや自分と向き合うことを深く考えさせられる作品だった。似たような経験があるので主人公には非常に共感した。
Iri17

Iri17の感想・評価

4.7
誰も他人のことなど理解し得ない。耳が聴こえないとか、上手く話せないというだけでなく、自分の気持ちを聲に出し、相手がそれを聴いてくれるというのは本当に難しいことだ。

理解できないものに対して悪辣なことをしたり、頭に来たりというのは誰にでもあることだと思う。
しかし、その結果犯したことで、相手と同等かそれ以上に大きなダメージを受けてしまった場合、その罪悪感から逃げることは容易な事ではない。自分がやっていることは自分の贖罪で、相手への救済ではないのか、自己満足ではないかという思いに駆られる。

主人公がいじめを犯してしまった理由は、思春期の精神的な揺れと他者への共感能力の低さだろう。
フランスの哲学者メルロ=ポンティは、赤ちゃんは母親と自分、自分と社会を別個の存在とは考えないとしている。自分の思い通りに母親は行動してくれる。お腹が空いたらミルクをくれるし、オムツも取り替えてくれる。自分の一部のように。
しかし、思春期になるにつれ、自分は1人だという孤独を感じるようになる。その精神的孤独感に突然女の子が入ってきて恋に落ちたら、不安定で未成熟な感情はその異質な女の子への攻撃に向くのだろう。
黒髪の女子もそうだ。自分が好きな男子を虜にしておきながら、決して本当の気持ちや感情を外に出さない。笑うか泣くだけ。頭に来るし、理解できないだろう。だから自分の剥き出しの感情をぶつけるしか自分を守る方法がない。
おデブの男は孤独感を感じたくないため、主人公に依存し、距離感を不自然に近づけ、イケメンは他人を決して信頼しないし、理解しようとしないニヒリストである。優等生は自己防衛のために偽善的に振る舞う。妹は性同一障害のように読み取ることもできる。
聴覚障害を持った女の子は無である。個性がない。恐らく耳が聴こえないことでの他者との断絶感やイジメられたことへの自己嫌悪を有しているため、筆談やメールでも殆ど自分の気持ちを明かさない。理解されないと分かっているから、拒絶されてしまうから始めから、感情を表に出さない。貼り付けた笑顔と思わず溢れ出てしまう涙だけだ。

この映画では誰も理解し合うことができない。全員が孤独。さらに主人公の贖罪までしか描かれていない。彼らの未来は不透明だ。
彼らがお互いを理解し合えるかは、僕には祈ることしかできないし、これは人間関係が希薄化、選択化した現代を生きる僕たち1人1人が向き合っていかなきゃならない問題だと思う。
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