Anima48

ウィッチのAnima48のレビュー・感想・評価

ウィッチ(2015年製作の映画)
3.8
「あんた、あの子好きなんでしょ?」何気ない一言が妙な力を持ち、瞬く間に集団ヒステリーのようになることがある。気まずくなってグループから離れることになる。今も昔もよくあることだろう。

開拓期の村から追放されることは、即自然の中で自活することを求められる。一家の扱う火縄銃の無様さが物語るように科学が未発達な当時人知の及ばないエリアに対して人はものすごく無力だったと思う。逆に彼らの良識の範囲外にいる動物が生き生きとしているというよりも不気味に見える。ウサギ、黒ヤギ、カラスは力強く見える。(実際ノウサギは飼いウサギとは違い厳めしく筋肉質、山羊が突進するのは遊びや力比べなんだけどこんなところも理解の外かと。)反面、従順な馬、犬などは森の中で無力で愚か弱弱しく歩いてさ迷い餌食となる。

魔女と言われる存在はあまり出てこないが強烈で、序盤のカットの力強さが、画面の外で進行しているだろう闇の暗躍と一家の世界への浸食を常に意識させることになる。魔女の活動は夜半、漆黒の闇の中で描かれよく見えない。そして闇のない鮮やかな青空は一度も描かれることが無く、どこまでも闇・夜の影響を受けた森の薄暗さが続く。一家の運命は最初から闇の影響下にあったようだ。

家族に起こったことが超自然的な事なのか、それともヒステリーの類なのかという線引きがうまい具合に保たれどんな見方もできる。魔女を想像上の産物だと信じている現代の僕達は不思議な出来事を一家の想像上の産物として、開拓一家内で起きた魔女狩り裁判の結果彼らが起こした不幸な事件ともうけとれる。でも当時は裁判証拠に悪魔と取引をした等が大真面目に扱われていた時代、ニューイングランドの民話や実際の日記や発言記録にも表れる不思議な出来事は彼らにとっては現実に起きたこと、これらを一つに纏めたのがこの映画。言い換えればこの不思議な出来事は現実に当時のアメリカで起こっていたこと。••そして神は彼らを守ってはくれない。

序盤からトマシンにとってストレスが続く状況が続く。敬虔な彼女は神に向かって自分の怠慢を恥じ、末弟の失踪の責を責められ、双子からは舐められる。口減らしの点から奉公に出ることを勝手に決められる等単なる労働力として扱われるなか、唯一の想いを分かちあえる弟に災難が襲う。

本来こういった状況の調停は両親が担うことが多い筈なのに、父親が縋るのは杓子定規な偽善的な祈り、その祈りで不作や猟の失敗等の自分の無力から目をそらしている。唯一彼が出来る事は薪割りだけ、パンを焼く麦、とうもろこしもなく炙る肉もないのに祈りの様に薪を割続ける、燃やされる事もない薪が山のように積み上がっている様子が彼の常軌を逸した信仰心・偽善・自己満足と実生活での無能な様や問題を見据えない無計画な家族運営を教えてくれる様にも思える。母親はトマシンが迎えた思春期の性に対して妬みを抱いている。意図せず幼さと大人の魅力を備えてしまったトマソンは彼女にとって家族の中での妻、母としてのポジションを脅かす脅威に映ったのだろう。そしてその地位への感傷的な保身や事態への無思慮は家族の足を引っ張る事になる。双子の偏執的とも思えるトマシンへのからかいは終盤まで少し常軌を逸したところがあって思えばもう最初から闇に魅入られていたのかもしれない。

信仰の危機もあり、例えば家族それぞれが性的なフラストレーションを抱えた場面も多く、姉の胸元にそそぐ目線、月経の始まり、悪女の誘惑、夢うつつで口づけをねだる恍惚の表情、夢のなかでイエスと寄り添ったなどの告白が繰り広げられる。

“私は魔女なの!”年若い兄弟の間でのたわいのないでたらめだったのに、意図せず一家を苦しめる呪文の力を持つようになる、色々な猜疑にお墨付きを与えてしまったようだ。銀杯の紛失(聖なる物を金の為に売り払ってしまっている。)やリンゴ採りの探索など、一連の嘘の暴露が家族に不信を呼び込み、それにますます力を与えてしまう。母親はトマソンを悪魔の手先と決めつけ、父親は自分の無能さに気づくことが出来ず、信仰を偽善の道具に堕として娘に魔女だと告白を強いる。疑惑を言葉として口に出してしまったしまうともう後戻りは出来なくなり、エスカレートしていく。そういったエスカレートさせてしまう両親•双子は事態の原因を自分自身にある可能性を省みる事はせず、より内省を行う他者の中に見てしまう。行動が単純化、均一化された集団なので、より一層集団の中のわずかな差異・違和感が気になり、何か集団に問題が発生するとそこを攻撃してしまう。トマソンが持つ資質-父には無い常識的な内省、母が失った若さ魅力、双子にはまた備えていない成熟-そこが突かれたのかもしれない。

そういった集団の中でデマが力を持ち自ら差別を作り出すメカニズムが描かれてる様にも見えた。そもそもイギリスでの迫害を逃れて新大陸に渡ったピューリタン、その集落から異端として放逐された家族というのは宗教的にも社会的にも本当にミニマムでこれ以上分割できない単位の筈なのにそこで偏見•迫害を産んでしまう。人に不和をもたらし不安や軋轢を産むメカニズムこそが魔女なのかもしれない。・・森に潜む何か邪悪なものよりも一家の内にある狂信的な独善がトマソンにとって脅威だった。

誰が彼女を救えたんだろう?今よりも許容される価値観・行動に選択肢の幅が狭い時代に社会から放逐され、一家からまるで物か所有物のように扱われる彼女を救うのは闇の力だけだったのかも。そして彼女はそんな世界を捨てて解放された喜びに浸るのか、次の束縛に苦しむのか誰も知らない。
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