たかはし

シング・ストリート 未来へのうたのたかはしのレビュー・感想・評価

5.0
僕たちは「可能性」を頼りに生きている。しかしあるとき、あらゆる可能性がなくなる瞬間が訪れる(たとえば、癌に侵され余命を宣告されたとき。虐めを受けているとき)。すると、〈絶望〉が生起する。これから何者にもなれる可能性がないのだという絶望。その絶望は『死に至る病』である。人間は可能性の中でのみ生きている存在で、したがって可能性がなくては生きられないからである。そう哲学者のセーレン・キェルケゴールは考えた(竹田青嗣「反=ヘーゲルの哲学」『現代思想の冒険』ちくま学芸文庫, 1992年, 141-66頁)。

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《「社会に出たら」と言って、一拍おいた。「自分らしく生きようなどと思わないで下さい」と続けた。今年の3月25日、僕が学科主任として早稲田大学教育学部国語国文学科の卒業生に語った言葉の冒頭である。(中略)
 来年の新入生にはこの話をしよう。「君たちはまだ藤田嗣治が藤田嗣治らしくなかった時代の年齢です。(中略)たかだか20歳ぐらいの君たちが『自分らしく』あってはいけません。『自分らしさ』はこれだと決めてはいけません。これから大学に入る君たちは、まだまだたくさんの『自分らしさ』を生きて下さい」と。僕が今年の3月に卒業生に語ったのも、そういうことだったのである。》

──石原千秋「『自分らしさ』を壊す:【文芸時評】11月号」(『産経新聞』2018年10月28日, 閲覧日2018年10月30日, https://www.sankei.com/life/news/181028/lif1810280031-n1.html)

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「自分らしさ」は常に過去にしかない。一方で、「可能性」は常に未来にしかない。だから、自分らしく生きようとする人に可能性はないかもしれない。〈自分らしさはこれだ〉と決め込んでしまうと、過去から抜け出せなくなってしまうからである。だから、自分らしさに固執すると、あとには〈絶望〉が待つだけである。石原千秋の文章を過剰に読み込むと、そういうことも意味しているのだろうと思えてくる。

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『シング・ストリート』は「まだまだたくさんの『自分らしさ』を生き」ようとする若者たちの一コマを映した、もしこう言ってよければ、ビルドゥングスロマン(教養小説)的な青春音楽映画である。

ストーリーはシンプルで、ロウラー家は家庭崩壊の危機の只中にあり、末っ子コナー(フェルディア・ウォルシュ=ピーロ)はそんな状況の中、憧れの女性を口説くために音楽に熱中する。

ビルドゥングスロマンだと思った理由は六つある。家庭崩壊の危機、校長の理不尽さ、仲間との出会い、学校での虐め、憧れの女性との出逢い、音楽への没頭。この六つがコナーを成長させたのだと思った。

「これは君の人生 どこでも行ける」(“This is your life / You can go anywhere”)
「これは君の人生 何にでもなれる」(“This is your life / You can be anything”)

コナーが歌う “Drive It Like You Stole It” のこの歌詞は「可能性」に溢れている。

「どんなジャンルの音楽をやっているんだ?」との問いにコナーは「未来派だ」と答える。未来にしか「可能性」がないことにコナーは気がついている。

そういえば、コナーが皮肉を込めて歌い上げる “Brown Shoes” の歌詞はこうだった。

「お前は過去の人 俺は未来の男」(“You’re stuck in the past / I’m writing the future”)



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『シング・ストリート』は友達に誘われて2016年11月3日(たぶん)に下高井戸シネマで観ました。その後、2018年11月9日に閉館してしまうアミューあつぎ映画.comシネマで三回観ました。もう二年も前のことなのかと思います。それから、Blu-rayを買って何度か見ました。なので、今回は七度目とか八度目とか(あるいは、それ以上)の鑑賞になります。

※2016年11月3日投稿のレビュー《もう本当に良かったです。四回観ました。(四回も観ると、「あれ?」みたいなところも発見ですが…。)/それにしても、音楽が何よりもすばらしい。サントラをヘビロテの日々。特に「Drive It Like You Stole It」がいい。/お兄ちゃんの「Yes!」にグッときた。》