Jeffrey

コリーナ、コリーナのJeffreyのレビュー・感想・評価

コリーナ、コリーナ(1994年製作の映画)
5.0
‪「コリーナ、コリーナ」

〜最初に一言、超絶・大傑作。ウーピー・ゴールドバーグ主演の作品で「天使にラブソングを」の次に好きな作品である。決して音楽映画ではないのに、実に効果的に音楽が使用されており、目で見るのもよし、耳で聴くのもよし、とにもかくにもおしゃれでユーモアあふれる楽しい映画で、無条件に世界の人々が幸運を目にする作品だと感じる。幸せな気分になりたいと言う人にお勧めできる最高の名曲揃ったドラマである〜

本作はジェシー・ネルソン監督がウーピー・ゴールドバーグを主演にして制作した1994年の作品で、この度DVDで久々に鑑賞したが傑作。この作品はものすごく好きで、VHSも持参している。もともとパイオニアからDVDが発売されていたのは廃盤で、超プレミアム価格(当時3万円から4万円ほどした)だったが、今から4年前ほどに再発売(廉価版として)されてようやく購入してDVDでも見れるようになった作品で、思い出の深い作品だ。アルドリーノ監督の「天使にラブソングを」を中学生の頃に見て(今でも覚えている、中二の夏、野球中継で長引いてしまい金曜ロードショーが21時を超えてから地上波放送をしていた)、ウーピー・ゴールドバーグの作品はほとんど見てきたが、彼女の作品はビデオのまんまだったりDVD化されても廃盤になっていたりと、なかなかお目にかかることが難しいが、ファンの自分にとっては何とかかき集めた。

この作品は何といってもウーピーには軽快でパンチの効いたキャラクターがよく似合うと言うことをまざまざと見せつけられたと言う気持ちでいっぱいになった。これは傷ついた少女の心を、魔法のように鮮やかに解きほぐすスーパー家政婦の物語で、弾むリズムと軽やかな笑いと、そして爽やかな涙で、全米を包み込んで大ヒット作として当時その謳い文句で劇場公開され多くの人に感動を与えた作品として認知されている。この映画好きすぎて、Yahoo!オークションで当時の半券チケットまで購入してしまったくらいだ。後に音楽については話そうと思うが、音楽への鋭い感性を持った家政婦のコリーナが、死別の悲しみ、その癒しと言う普遍的なテーマを丹念に描いたこの作品にウーピーの色を付け加えた素晴らしい1本である。

単なる家族向け映画の水準に留まらない素晴らしい感動作に仕上げているのは、やはりウーピー・ゴールドバーグだろう。監督はこの作品でデビューを飾った人物で、元女優と言うキャリアを持ち、脚本、プロデューサーを務める才女である。物語は監督の自伝的色彩が濃く、幼くして母親をなくした彼女、暖かな思いやりと愛情で包んでくれた黒人女性の思い出が地下になっている。その人物はウーピーと言う希有な女優の肉体と魂を得て、時をこえ、鮮やかにスクリーン上に焼き付けられることになったのだろう。息を吹きかけて信号を青に変えるマジック。ドライブスルーでの軽妙な会話とハナに触る軽快な会話。お揃いのサングラスに、テレビに合わせて踊る亀。プールサイドでのファンキーなダンス。コリーナの繰り出すあの手この手は、観客の心もとらえて離さないだろう。

ちなみに余談だが、監督の祖父はバイオリニストだったそうだ。音楽に深く彩られた生活を送ってきたネルソン監督は、映画の中で音楽が持つ役割を重要視しており、登場人物のピアノの即興演奏場面を始め、Billie Holiday、ダイナ・ワシントン、ルイ・アームストロングといった粋なジャズナンバーを随所に使っているのは、ここから来ているのだろう。タイトルの「コリーナ、コリーナ」もジャズのスタンダード・ナンバーから発案されたものだろうし、さらにラストシーンでは、夫の死を嘆く祖母を孫娘もモリーがゴスペルを歌ってなぐさめると言う感動的な情景が描かれているのも納得いく。魅力全開と絶賛されたウーピーを始め、役者陣も充実で、映画初出演作「男が女を愛する時」で大人を喰う名演技を披露し、早くも天才子役の呼び声高いモリー役のティナ・マジョリーノ。今回は心を病んだ少女と言う難役に挑み、前作を超える絶妙の演技を見せている事は言うまでもない。さて前置きはこの辺にして物語を説明していきたいと思う。


さて、物語は落ち着きなく跳ね上がる黒いヒール。象の足みたいにたるんだストッキング。つま先に穴が開いて指が除いたボロ靴。テーブルの下から見れば、お葬式もなんだか滑稽だ。7歳のモリー・シンガーは、だれの目も届かない場所に隠れている。ママが死んでしまったショックで、口をきかなくなったモリーを前に、パパのマニーは途方に暮れている。仕事に出ている間、家事一般をこなし、モリーの面倒を見てくれる家政婦を探さなくてはならない。面接に次ぐ面接の末、採用されたミリー・ジョーンズは、フリフリのエプロン姿で得意の料理の腕を振るたが、妻の役割の全てを果たそうとマニーのベットに這い上がり、お払い箱になった。

そんなある日、シンガー家の庭先にコリーナ・ワシントンが降り立った。おしとやかとは言えないが、洗礼されたもの腰と教養溢れる話術で人を魅了する力を持った女性だ。面接を得たコリーナは、庭のオレンジをもいでモリーに放った。モリーがそれを投げ返すのを見て、マニーはコリーナを採用した。だんまりを決め込む娘を陽気に連れ出すコリーナ。まずは快調に車を走らせてドライブスルーのレストランへ。ところがバックでの駐車は苦手で、たちまち標識にズドン。さらにオーダーを取りに来たウェイトレスは喋らないモリーにイライラする。ここで焦ってはいけないと、ウェイトレスを座席に乗せ、モリーに提案するコリーナ。オーケーの時は鼻を突いて合図して…モリーはその通りやって見せて2人はぐんと打ち解ける。

帰り道、コリーナは信号に差し掛かるたびにふっと息を吹いて、赤から青へと変えて見せた。そんなコリーナの不思議な魅力にモリーはぐんぐん惹かれていった。ママの赤いドレスと一緒に芝生に寝そべるモリーに、ママは天国からモリーを見守ってくれると教えるコリーナ。無神論者のマニーはそれを聞いてコリーナを咎めるが、その言葉こそモリーを悲しみからすくえ魔法だった。安心したモリーは笑顔と言葉を取り戻す。娘の好転を喜ぶ一方、マニーは広告の作曲の仕事で「ミスター・ポテト・ヘッド」のコマーシャルソング作りに行き詰まっていた。音楽に長けてる彼女は、レコード解説を書く仕事につきたいと言う夢を持っている。コリーナは、マニーに優れた洞察力と的確な助言を示す。

コリーナの音楽への情熱に感心したマニーは、今まで以上に彼女に信頼と感謝を寄せて、モリーは2人が心を通わせていくの喜んだ。ディナーを共にし、美しい音楽に耳を傾け、並んでテレビを見るモリー、マニー、コリーナ。モリーは次第に3人が家族になることを願うようになる。学校の授業中、家族の絵を書く課題が出された時、モリーは迷わず絵の真ん中にコリーナを大きく書いたため、ママの代わりにメイドの絵何か書いていると笑われてしまう。翌日から登校を拒否するモリーを、コリーナはマニーに内緒で大豪邸の掃除へ連れて行く。モリーはプールではしゃぎ、掃除を手伝う。独身のマニーを心配した上司のシドは、彼にジェニー・デイヴィスと言う女性を紹介する。

一目見てマニーが気に入ったジェニーは、積極的にモーションをかけてくる。コリーナも姉のジェヴィナに、ボーイフレンドのアンソニーとちゃんと付き合うよう忠告されるが、どうも気が済まない。コリーナが協力したアニーの曲が、ゼリー会社の重役たちに気に入られた。お礼として、コリーナに花束をプレゼントするマニー。2人のムードが高まるが、そこへジェニーが現れてぶち壊しになる。コリーナは帰ってしまい、ジェニーはマニーを誘惑する。必死で邪魔するモリー。果たしてモリーの願い事は実現するのだろうか…とがっつり説明するとこんな感じで、一言で言えば傑作のファミリームービーである。ものすごく好きな映画であり、やはり何時何時見てもウーピー・ゴールドバーグは素晴らしい役者だなと思わせてくれる。この90年代のアフリカ系の人たちの女性ファッションは、とてもいいなと思う。

特にゴールドバークのようなガタイのよい女性のハイヒール姿はたまらなく良い。オープニングからSarah VAughanのThey Can't Take That Away From Me (From "Shall We Dance")が流ながら葬式のシーンが始まるのだが、足元のクローズアップで始まるのがまた独特で印象深い。まるでヒール同士が会話しているかのような感じがする。それで娘を預ける家政婦の面接のシーンになるのだが、どれも強烈すぎて笑える。そんでいよいよ明日からゴールドバーク演じる家政婦が降りてくるんだけど、早速娘と鉢合わせになって、そのチャリンコイカしてるわとか、あなた全然しゃべらないのね、それだったら楽だから嬉しいわとかウーピー・ゴールドバーグ節炸裂していて最高。あー、この映画ブルーレイ化して欲しい。

いいよね、あのアフリカン系のアフロチックなボリューミーな髪型をバンダナ(ナフキン)で押さえつけるファッションとかすごくいいなと思うのの、ドライブスルーに行って、クラシックカーをぶつけてしまって、ぶつけたことをパパには内緒ねって言って、でもあなた無口だから言わないわよね、だから私無口な子供が好きなのよ。告げ口されないで済むからって言うシーンは本当に爆笑する。ウーピー・ゴールドバーグだからこそ笑えるセリフなんだよ。ほんと魔法の女優さんだわ。ほんとに好きだわウーピー・ゴールドバーグ。やっと娘が元気になって口を聞けるようになって、家政婦のゴールドバークをディナーに招待して3人で食べるときにラジオから流れるエリック・サティの「ジムノペディ第1番」がこれまた素晴らしいのだ。ビッグ・ジョー・ターナーのCorrine, Corrinaも堪らない。ビル・エヴァンスも流れるからサントラは最高だろう。

それに人んちのプールでくつろぐシーンで2人が口ずさむビリー・ホリデイのPennies From Heavenがたまらなくノスタルジック。カメラワークもすごく良い。そんで娘と父がコリーナのために食事を作ろうとするシーンで流れるルイ・アームストロング & オスカー・ピーターソンのユー・ゴー・トゥ・マイ・ヘッドがまたいいのよ。モリーがベッドの上でスローモーションでジャンプするときに顔のクローズアップが一瞬だが、それが「リトル・ダンサー」のジェイミー・ベルを彷仏とさせた。こっちの作品の方が古いけど。モリーの誕生日で庭でフラフープをするシーンで流れるデューク エリントン楽団のスウィングしなけりゃ意味がないもまたいいのよ。んで、中華屋のようなところで、コリーナが間違えられてウェイトレスだと思って白人の男が腕をつかむ所のシーンでマニーが激怒する場面と、その後に黒人と白人の子供が木の上に登って、あなたはチョコレート味がするの?

あなたはバニラの味がするの?とお互いの頬を舐めるシーンは印象的だ。その後の教会でのニガーと言うモリーに友達の黒人の女の子が嫌がる場面も印象的。Ted HawkinsのCorrina, Corrinaが流れる中、近所の白人のおばさんが、コリーナとマニーが腕を組んでいるシーンを見て、草切りバサミでわざと音を出して威嚇するシーンが本当に泣ける。黒人のメイドと白人の雇い主が白人の娘とともに3人で凧揚げしている場面なのだが、その音楽とその雰囲気の描写がたまらなく胸につく。その流れでテレビでタバコを吸う人間は早死にすると知ってしまったモリーが、2人のタバコを徐々に砂場に隠したり、積み木の家の中に隠したりする場面がばれてしまうところがまた何とも言えない辛いところである。んで、夜の庭先で2人がキスするシーンで、ロマンチックな中、ルイ・アームストロング & オスカー・ピーターソンのユー・ゴー・トゥ・マイ・ヘッドが流れるのはもう最高すぎる。そんでエンディングでOleta Adams & Brenda RussellのWe Will Find A Wayが流れて帰結する。本当に感動する。


やはり印象的に残るのはコリーナを得て快活さを取り戻してからの愛らしいダンス姿やフラフープシーンなどだろう。そのキュートな魅力が余すところなく写し出されているのは女性監督が娘を見る目線だったのだろうか。非常にうまく捉えられていると思う。そして父親のレイ・リオッタは、スコセッシの「Good Fellows」等で個人的には初めて知った役者で、こういった強面の芝居が多かった彼が、本作のように爽やかな役柄を見事にこなしているのは嬉しい。とはいうものの、その前に「フィールド・オブ・ドリームス」と言う作品でもさわやかの役は演じていたが、これまた懐の深さをアピールしている感じの父親役がとてもはまり役だったと思う。それにハリウッドの大御所いわゆるベテラン俳優のドン・アメチー(コクーンでアカデミー賞助演男優賞受賞した人物)もこの作品に忘れられない印象残している。

とても味わい深くなった要素の1つであるが、彼は死去してしまい、確か監督はこの映画を彼に捧げていたと思う。アンティークな香り漂う美術も、この映画の見所の1つと言って良いのではないだろうか。主な舞台になるマニーとモリーの家はノスタルジックな家具や壁紙に包まれており、キッチンの小物やテレビに映る番組にまで細やかな配慮がなされていると感じた。コリーナが乗りますクラシックカーや、掃除に行く先々に登場する大豪邸の豪華なインテリアや広大な庭園、神殿のようなプールや凝った床等も観客の目を楽しませてくれる。3人の全く違う人物が歩み寄り、家族を作り、お互いを癒し合う、というのがこの作品のテーマだとネルソン監督が語る通り、本作にはめぐり合い、結びつき、共に生きることの喜びと愛の力が溢れている。はじける笑顔とほとばしる涙が心の憂いをすっきりと洗い流してくれる、好感度抜群のムービーになっている。

やはりレイ・リオッタは「不法侵入」で悪魔的な警官の役を演じていたのが印象的だったため、やはり悪役演じる方のが良いとずっと思っていたが、久々にこの作品を鑑賞してみると、リオッタはこのような父親像も凄まじく徹底したリサーチで行うため非常に良いなと思ってしまう。それにしても今回の作品が初監督になったネルソンは、未だ女性の職場としては増えていかない監督と言うところで、見事に監督と脚本と制作の三役をこなし、大ヒットへ導いて高い評価を得たのはさすがである。彼女は確か舞台女優としてのキャリアを積んだ後、ロサンゼルスに移り、コロンビア・ピクチャーズの研修コースに加わってテレビ、映画などに幅広く出演していたと思う。自分の脚本を映像化するために、ネルソンは監督業を学ぶ決意をしたとされている。

本作は先ほども少し述べたが、彼女の少女時代の体験に基づいた半自伝的な作品で、映画化実現のために8年間もの歳月を費やしたと言う。彼女の情熱は、脚本の初稿を読んだウーピーの心を動かし、この得難しい黒人女優の参加によって、制作開始にこぎつけたと言う。本作の大成功が引き金となって、自閉症の子供たちとイルカの心の触れ合いを描いた作品も当時企画が進行中だったそうだ。話を映画に戻すが、この作品の画期的なところは、音楽が人と人を愛で結ぶことを教えている点だ。ジャズと言う音楽によって、全く正反対(人種的にも生活的にも)の世界に生きているとも言える男と女が、惹かれあい、愛を育んでいくのだからたまらないのだ。ジャズと言うのはあまりにもマニアックなものだから好き嫌いが分かれるし、そもそもクラシックとジャズと言えばクラシックの方が尊敬されがちだとされている。

ジャズと言うのは小さなコミュニティーで知る人ぞ知る的な感じで、わかる人がジャズを聴けばいい、好きなんだと言う結論に至ってしまうことが多いので、何も知らずに出会って会話を交わすうちに、互いにジャズが好きだと分かったときの嬉しさは他に例えようがないだろう。皆さんもはじめましての人と会話をしていくうちに、好きなものが重なった時の幸福感はわかるだろう。本作でモリーの心に少しでも近づこうと、コリーナが黒人ばかりのライブハウスに連れて行く場面で女性シンガーが歌う虹の彼方には感動する。この曲は映画好きなら誰もが知っている39年の「オズの魔法使い」の中でジュディ・ガーランド扮する悩める少女ドロシーが歌った歌である。偏見でものを話すが、白人の監督がここまでジャズに精通しており、いずれもジャズ史を語るに不可欠な黒人アーティストたちの名曲を使うのは素晴らしい。

歌詞に引っ掛けて音楽を流したり、とにもかくにもご機嫌な場面があまりにも多すぎてテンションが上がる。ウーピー・ゴールドバーグの作品は9割方見ているつもりなのだが、彼女が他人を落ち着かせる時だったり、話を聞くシーンの時とかって、必ず独特ないわゆるユニークなコミニケーションを生み出しているなと感じるのだが、それは「天使にラブソングを」の時もそうだったし(続編のパート2でローリン・ヒルに聖歌隊に入らないかと話す場面など)、この作品でもモリーに母親の事をきちんと説明する時とかも非常に風変わりな言葉を巧みに使って相手を安心させる。なんだろうそういったバイタリティーにあふれる役柄が非常にぴったしである。本当に面白い女優である。さすがはスタンダップコメディ出身者だ。

さて、ここからはモリーのモデルになった監督の少女時代について話したいと思う。監督であるネルソンの母親は、モリーの母親同様、彼女が幼い頃にこの世を去ってしまったそうだ。そして映画の中のコリーナにあたる女性が現れるまで、監督はおよそ35人にものぼる雇われ人たちに入れ替わり立ち代わり世話をされる羽目になって、コリーナのモデルとなった家政婦は、当時すでに70歳になる黒人女性だったが、監督は彼女に強い親愛の情を寄せ、こちらは当時まだ35歳と若かった彼女の父親と結婚してくれることを熱望したそうだ。子供の心が抱いた純粋でひたむきな、そして大人の目から見れば突飛で笑い話のように感じられてしまう願い事を、監督はそのみずみずしい少女の感覚を失うことなく成長して美しい記憶の結晶として再び世に送りが出すことに成功したんだなと感じる。

「コリーナコ、リーナ」のロケは、カリフォルニアのロングビーチで行われており、美術のオッペフォールは、ロングビーチには、1950年代に建てられた家が立ち並んでいる一区画があって、50年代の原型をとどめたテイストのロケ地を発見できたのは、とても幸運なことだったと語っていた。また、亡くなったモリーの母親は家具道楽と言う設定で、葬式後にも彼女が生前にオーダーしたチェアセットやソファーが届いてモリーの心をかき乱すシーン、あるいはモリーが子供部屋にある人形の家を作って寂しさを表現するシーンなど、作中では音楽と共に、家具も重要な表現手段となっている。さらに、コリーナと掃除に出かける豪華なお屋敷の数々、きらびやかなシャンデリアやチェッカー盤のような床、前衛デザインのリビングルームなど、一見の価値ありのシークエンスが多い。郷愁を誘うレトロな感覚がまたたまらないのだ。

2012年あたりに「ヘルプ心をつなぐストーリー」と言うオクタヴィア・スペンサーがアカデミー賞助演女優賞を受賞した(主演はマーガレットサッチャーのメリル・ストリープだったと思う)の黒人問題を描いた素晴らしい作品があるのだが、それでも数多くある家政婦たちの中で、ある黒人の女性に愛情を抱くようになった白人(エマ・ストーン)の主人公の人が最後に本を出版すると言う話なのだが、それとこの作品が一瞬重なった自分の中で。長々とレビューしたが、この作品は非常にアメリカの家庭像を浮き彫りにしていると思う。監督自身が黒人のヘルパーさんを母の代わりにしたいと言う夢を抱いたのを実際50年代の激動の時代であり、この作品が制作された90年= 90年代に生きる人々が見る映画として自分の夢を映像として完成させたのには拍手喝采を贈りたい。この監督がこれ以降あまり作品をとっていない(脚本は結構書いているようだが)のが残念で極まる。


最後に余談だが、この作品の公開後1994年10月1日は、ウーピー・ゴールドバーグが生涯で3度目の結婚式をあげているのだ。お相手は、こちらも今回が2度目の結婚になるライル・トラッチテンバーグと言う人物で、彼はハリウッドの俳優組合の幹部で、2人の出会いは「コリーナ、コリーナ」の撮影セットだったそうだ。映画のコッリーナ同様、ウーピーも前向きでパワーあふれるその魅力を生かして、素晴らしい幸福を獲得したようだ。結婚式にはマニー役のリオッタも参列し、共演女優の晴れ姿を祝福して、結婚式はロサンゼルスにあるウーピー・ゴールドバーグの大邸宅の庭が選ばれてアーノルド・シュワルツェネッガー夫妻を始め、今亡きロビン・ウィリアムズ、クインシージョーンズ、スティーヴン・スピルバーグ、ナスターシャ・キンスキーなど約300人のゲストが集ったそうだ。

まだこの作品は配信もされておらず、DVDとしてレンタルもされていないと思うので、DVDがアマゾンなどで800円程度で売っているので、まだ見てない方、気になる方はぜひとも購入してみて欲しい。絶対に損はさせない。歌に託された思い、コリーナコ、リーナの音楽、その他、名曲の数々を聴きながら存分に楽しんで欲しい。傑作だ。
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