TaiRa

クーリー・ハイのTaiRaのレビュー・感想・評価

クーリー・ハイ(1975年製作の映画)
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ブラック『アメリカン・グラフィティ』な元祖フッドムービー。登場人物のファッションがみんな洒落てる。

公開は75年だが、物語の舞台は約10年前の64年シカゴ。公民権法が制定された年でもあり、ある意味では公民権運動時代における最もポジティブな年。十年一昔とは言うが、その後の激動っぷりを経験した当時の観客は感慨深かったろうと思う。ブラックムービーだから当たり前なんだが主要人物は全て黒人で悪い白人から差別を受けるみたいな描写も特にない。ちょうどブラックスプロイテーション時代の只中なので、ここでやる必要は感じなかったのかな。基本は青春コメディなのだが、どうも全編に渡って死の匂いがまとわり付いている。60年代の労働者階級に生まれた黒人たちの未来のなさ、希望のなさがチャラついた高校生たちの青春にも侵食しているのが生々しい。ギャングになるか貧しくブルーカラーとして働くかしか未来がない状況。主人公は詩を愛していて、アーティストを夢見ている。フッドムービーの定型になる様な人物像。優秀なスポーツ選手で大学の奨学金も貰える親友とパーティーに行っては女の子を口説いたり喧嘩をしたり、万引きして遊んだりする毎日。死の匂いが漂うのと対抗して性の匂いも漂う。童貞卒業に至るまでの描写の丁寧さが可笑しくも愛おしい。未来ある者が未来を失われていく日常から助けを求めても騒音が声をかき消す絶望。叫びは誰にも届かないが、悲しみの詩はきっと届く。ラストに至ってやはりこれはフッドムービーなんだなと分かる。走るしかない切なさが沁みる。
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