深獣九

スイス・アーミー・マンの深獣九のレビュー・感想・評価

スイス・アーミー・マン(2016年製作の映画)
3.5
 嵐に遭遇し孤島に流され、絶望し、生きることを諦めた主人公が自殺する寸前、浜辺で漂流者を発見。漂流者の男は死んでいるように見えたが、なぜか放屁を繰り返す。放屁勢いでふたりは島を脱出。本土へ戻ることができたが、そこは人里離れた海岸。崖の上は深い森。森をさまようふたりに、あんなことやこんなことがあり、友情が芽生え、森から出て助けられたが……。

 というのが、大体のあらすじ。まあ、わからないと思うが。

 この物語、最後まで不思議というか不可解であった。
不思議ポイントは数え切れないほどあるが、最後に伏線回収され、観る者に戦慄が走る。猟奇? と見せかけてありゃ? となるわけである。

 男の友情の話でもあり、自分を見つめ直す話でもあり、愛とは? 生きるとは? を問いかける話でもある。ように見せかけて、観るものをおちょくっているようにも感じる。

 スイス・アーミー・マンの題名からわかる通り(私世代の男性なら憧れのアレとすぐわかる)、ゾンビ? 男の破天荒な活躍が見どころ。また、主人公の献身的な手当で、徐々に人間に戻っていく姿も、なかなか熱いものがある。主人公はなかなか器用だ。そういうシーンを切り取って楽しむ方法はあるだろう。
 だが、やっぱり結末がアレだと、いままで何だったのか? どういうことなのか? という疑問が残る。残尿感とでも言おうか。放屁の量が不十分で、腹部に膨満感が残る状態とでも言おうか。まあスッキリしないね、ということ。一体お前は何なんだ? ということ。
 細かいことが気にならなければ、楽しめると思う。


※202.10.29追記
 昨日観たこの映画のこと、ずっと考えてた。このモヤモヤの正体はなんだったのかなって。午後のおやつを食べてるとき、ふと気づいた。結末に納得できないのは、おのれのせいなんじゃないかって。つまり、こういうことだ。

(回想)
 クライマックス、メニーはその機能を止め死人に戻った。そのメニーを連れて、ハンクは逃げた。ふたりを追う警官たちは、森の中でハンクが作った芝居のセットを目撃する。「見ないでくれ!」ハンクは叫ぶ。「頼む!起きてくれ!」ハンクの悲痛な叫びも、メニーには届かない。それを見てみるみる顔色が変わる警官たち。そう、彼ら(と私)は気づくのだ。これは、死体と共演するハンクの一人芝居だと。怯えるハンク。ハンクもまた、そう自分を疑い始めていた。これが真の結末、この物語はハンクの狂気が作り上げた猟奇の一人芝居だったのだ!
 と興奮したのもつかの間、メニーは尻から空気を出してどこかへ行ってしまった。そしてエンドロール……。
(回想おわり)

というわけだ。何が言いたいかって言うと(変な日本語)、私はあのシーンでこの物語に勝手なレッテルを貼り、鼻息フガフガさせながらドヤ顔でレビューを脳内に描き出した。ところが、それはあっさり覆された。なにぃ?ふざけんなよぅ。せっかくのレビューを台無しにしやがってぇ……。
 私は、早合点の自分を棚に上げて、作品にその責任を被せようとしたのである。ひどい!
 ただ救いは、その気持ちを鑑賞直後に気づかなかったこと。もし気づいていたら、トンチンカンなジコチューのレビューになり、作品を貶めるばかりかみなさんのお目汚しになったであろう。ああ、助かった。

 さて、このあたりで長い言い訳を閉じるとする。この作品の評価も、ひとつ上げておこう。気づけた自分、褒めてあげよう。本当に良かった。
深獣九

深獣九