SatoshiIto

パターソンのSatoshiItoのレビュー・感想・評価

パターソン(2016年製作の映画)
4.5
洋画でよくある、男女が抱きあったまま寝ていて、幸福感に満ちた姿のまま朝がやってくる(『パターソン』チラシ参照)……そして、目覚めた2人はキスを交わす…みたいなシーン。あとよくあるのが、そんな2人のとこにいきなり電話、事件が始まるとか。

その光景、現実ではまずないだろうと、映画で目にする度ずっと思っていて、なぜなら自分の人生で一度だってそんな朝を迎えたことないから。だって、実際は暑苦しいし、腕は痛いし、入眠直前までどんなに恋慕の情に耽溺していようが、眠りの中でいつしか忘れ、お互いの安眠を優先するのが人の性であり、そんなのは映画だけだろうと。

『パターソン』は、数度繰り返される、そんな目覚めのベッドの俯瞰シーンが素晴らしいのだ。
ジム・ジャームッシュのファンならば自ずと『ミステリー・トレイン』での工藤由貴と永瀬のシーンを思い浮かべるところだが、『パターソン』のそのシーンを観てはっきりと分かった。
自分にそのような経験がないのは、「愛」が足りないからなのだと。主人公たちが、純粋にして、相手の感情のわずかな機微さえも気遣いながら、しかも二者をつなぐその感情が脆いものであることにもどこか予感的であるような、そのような繊細な「愛」が足りないからだと。
いや、永瀬ならばこういうだろう。「アーハーが足りないからだ」と。

それはともかく……

シャレではなく、『パターソン』は「パターン」についての映画である。

主人公パターソンはバスの運転手。その生活はバスの運行と同じようにパターン化され、ほぼ規則的に反復される。主人公の最愛の妻もまた、彼女が夫にお構いなしにのめり込むアートも不思議な「パターン」が強調されたものだ。あるいは……他にも、作中パターンの隠喩は散見される。

ただし、主人公が反復する日常のパターンの中には、当たり前だが差異が含まれている。主人公の目に映る、周囲で起こる様々な日常の差異。それらと誠実に付き合おうとするパターソン。それが何とも情感深いのだ。
パターソンは同時に詩人でもある。
いうならば、パターン化された言語という営みに意図的な差異を与えるのが詩人の仕事であり、監督の意図は明確である。
白眉は27年ぶりに出演する永瀬正敏。これ以上にない「差異」として、最高の演技で応えている。

ジャームッシュの詩的な情感がみなぎる、その意味では自らの「パターン」とも静かに闘った傑作。

試写会にて。
SatoshiIto

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