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パターソンの小のネタバレレビュー・内容・結末

パターソン(2016年製作の映画)
4.8

このレビューはネタバレを含みます

詩は言葉によって映像を描き、映画は映像によって言葉を語る。3日くらい『パターソン』のことを考えていて、思ったこと。当たり前のことかもしれないけれど、映像が語る言葉ということを初めて実感した気がする。

2回見た。初めて見た直後は、とても苦手な映画だと思った。日常を大切に味わうみたいなことかな、と漠然と思ったけれど、詩のことは良くわからないし、パターソンに住むパターソンがバスの運転手を務めながら詩作をしている姿を追った1週間の映像は、何も考えずに見ていたせいか、とても退屈。映画の中の火曜日の夜から水曜日の昼前まで寝落ちした。

同じような行動の中に、細やかに描かれる1日1日の違いとか、何気ない美しいシーンにジーンとする能力が自分には欠けていて、そういうことを味わえるようになれるといいなあと思うものの、物語がわからないことには、モダンアートを見ているみたいな感じかなと。

ところが感想を書く前に、たまたま人物の動きや位置関係によって主人公の心情や物語の方向性を推測する見方を知り、それをもとに考えなおしてみると、話がどんどんつながってきて、これはもう1度見なくてはと、少し興奮気味に思った。

2回目の鑑賞で、台詞ではなく、映像によって物語を味わうとはこういうことかもという感じを得た気がした。まだまだ分からない部分があるけれど、以下から物語の解釈を書いてみる。

映画は、月曜日から始まり、パターソン夫婦のベットの寝起きシーン、朝の会話、バスの運転手の仕事、帰宅後の夫婦の会話、愛犬マーヴィンとの散歩、ビールを1杯飲む行きつけのバーでの出来事という流れで金曜日まで進む。土曜日に事件が起こりパターソンは落ち込むものの、日曜日に救いの神が現れる。そして次の月曜日、いつもの日常へと戻っていく。

パターソンの望みは何かというと、バス運転手の仕事をするかたわら趣味の詩作をしつつ、最愛の妻ローラとお互い尊重し、心を満たしながら暮しいてくこと。彼はどちらかといえば内向的で、スマートフォンすら持っておらず、詩を外の誰かに認めてもらいたいとは思っていない。映画で描かれる週に書いている詩の内容は妻のことであり、映像では詩の文字とともに町に流れる滝の水と美しいローラの顔が浮かぶ。

一方、ローラは外向的でパソコンもタブレットも持っている。デザインやペインティングに熱中するだけでなく、カントリー歌手になりたがったり、カップケーキのお店を出したがったりしている。だからパターソンにも彼の素晴らしい詩を世に出して欲しいと訴え、火曜日に詩を書き留めている一冊しかないノートのコピーを、週末にとることを約束させる。

パターソンは愛する妻の願いだからと承知したけれど、その表情は渋々で本心では自分の詩を世に出したくなさそう。しかし金曜日、気持ちに転機が訪れる。バーで、ある男が彼をふった恋人の前で拳銃自殺しようとすると、いきなり飛び掛かり拳銃を取り上げる。拳銃はおもちゃだったものの、自分でもビックリする行動をとったパターソンは、自分の書いた詩を外の世界に出してみるのも良いかもと思ったのではないかと。

しかし、愛犬のマーヴィンが、パターソンの本心を察しているかのような行動をとる。火曜日、パターソンが詩を出すことを承知した時、「ワン」と吠えたのは自分的解釈では警戒のサイン。

決定的なのが土曜日昼間の散歩で、パターソンは自分の気持ちが変わったことを象徴するかのように、いつもの散歩コースとは反対に行こうとするけれど、マーヴィンはいつもの方向へ強引に引っ張っていく。

そして土曜日の夜、パターソンとローラが映画と食事を楽しみ帰宅すると、居間の床に詩作ノートがバラバラに千切れて落ちていた。パターソンがソファーに置き忘れたノートを、留守番をしていたマーヴィンが噛みちぎった。ローラは怒ってマーヴィンをガレージに閉じ込める。

日曜日の朝、パターソンはローラに背を向け、うなだれてベッド座っている。居間に移るとマーヴィンをじっと見つめ「お前なんか嫌いだ」とつぶやく。その後間もなくローラがやってきて、マーヴィンを再びガレージに閉じ込める。

パターソンがベッドでうなだれ、マーヴィンに「嫌い」と言ったのは、愛するローラの詩を台無しにされたからで、心の底にはホッと安堵する気持ちがあったから、愛犬をガレージから出したのだろうと思う。

しかし、パターソンは未だ自分の気持ちをはっきりと見定められないでいる。気分転換に散歩にでかけると、金曜日にバーで騒ぎを起こした男と出会う。男はすまなかったと謝った後、元気のないパターソンを見て「何があっても日は上り、日は沈む。毎日が新しい日」とほほ笑む。

彼と別れたパターソンは滝に向かう。ベンチに座り滝を眺めていると、謎の日本人の男がやってきて語り掛ける。

謎の日本人「あなたもパターソンの詩人ですか?」
パターソン「僕はただのバスの運転手です」
謎の日本人「とても素敵です。詩的です」

パターソン「詩が好きなんだね」
謎の日本人「私の全てです」

謎の日本人「(自分も詩を日本語で書いていると言ったあと)詩の翻訳はレインコートを着てシャワーを浴びているようなもの」

この謎の日本人こそ迷えるパターソンの救いの神。「身の回りにある物事や日常におけるディティールから出発し、それらに美しさと奥深さを見つけること。詩はそこから生まれる」(ジム・ジャームッシュ監督)のであって、世に認められるとか商業的に成功することが念頭にあると、詩は創作できなくなるのかもしれない。

謎の日本人は最後にギフトだといって、1冊のノートを手渡し「白紙のページに可能性が広がることもあります」と言い添える。「毎日が新しい日」で、毎日が「白紙のページ」。その1日1日に美しさと奥深さが見つかる可能性が広がっている。

謎の日本人は去り際に、パターソンの方を振り返り「Excuse me. A- ha! 」と言う。それが合図であるかのようにパターソンはペンを取り出し、詩を書き始める。

その詩のタイトルは「The Line」(その1行)。その1行は「would you rather be a fish?」(君は魚になりたいのかい?)。

詩の文字に重なる水の映像。君が魚になりたいのであれば、なれるかもしれない。魚が水の中で生きるように、君が望めば詩の中で生きることができるのかもしれない。
(https://www.youtube.com/watch?v=3FkiJLDaV8M)

そして月曜日の朝、パターソンとローラは1週間前と同じようにベットで向き合って寝ている。新しい、白紙の、いつもの1日が始まる。

ということで、はじめはハテナでいっぱいの映画だったけれど、新たな何かを見つけた気がして、2回目はワクワクしながら見た。映画ってイイね、と思った。

●物語(50%×4.5):2.25
・ 美しいものが一気に広がるような日曜日だったかな。ただ全体を十分味わうには、まだ自らの実力不足を痛感。

●演技、演出(30%×5.0):1.50
・演出で見せるストーリーを初めて体感できたかも。アダム・ドライバーはもちろんだけれど、みんな良かった。マーヴィン役のネリーの顔が良いっす。

●画、音、音楽(20%×5.0):1.00
・ただ美しい。
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