ジャームッシュが目を向ければ(街そのもの)が映画を模倣し始めるようです。
ジム・ジャームッシュ「パターソン」
20世紀末、メンフィスの街のホテルに土地の精霊の磁力で引き寄せられた人々を描いたジャームッシュが、今世紀、パターソンの街に(言霊)の磁力で引き寄せられた人々を描きます。
一度も訪れた事のない土地であるのに観る人の奇妙な郷愁を誘発出来る数少ない達人がジャームッシュ。
かつて「ミステリー・トレイン」のメンフィスの街がどれだけ懐かしく感じれた事か。
しかもその案内人が永瀬正敏と工藤由貴という日本人なのだから言うことありませんでした。
アメリカ産業に貢献した滝・グレ―ト・フォールズが包み込むようなニュージャージー州のこの街も、ジャームッシュが目を向ければ(街そのもの)が映画を模倣したように従属されていきます。
それは彼がどこにいようと、その土地の精霊が見えているから。
自身の魂の結晶である手書きの詩集をあっさり愛犬マーヴィンにズタズタに引き裂かれる事が笑うしかない不運として見過ごせるのはそうした土地の精霊の力に他なりません。
これは才能以外なにものでもないのは、妙にカンヌ受けがよい割にはジャームッシュのような力を備えない女性監督がいくらご自身の土地・奈良を描こうが(映画的郷愁)を味わえない事からも明白です。
ジャームッシュがもし、日本を舞台に映画を撮れば、奈良や京都、東北、北陸、九州、いえいえ、それどころか私が現在住んでいる六甲山に守られた神戸市北区だって、アメリカ人が懐かしく感じる(精霊)を映すに違いありません。