YasujiOshiba

パターソンのYasujiOshibaのレビュー・感想・評価

パターソン(2016年製作の映画)
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お相伴DVD鑑賞4本目。

パターソンのバスドライバーでパターソンの詩人でもあるパターソン。シャレでも冗談でもなく、それが詩だっていうところがよい。ジャームッシュにとっての詩はパーソナルなもので、大勢にではなく自分のため、自分の大切な人のためのものなのだけれど、そんなプライベートな感覚は、彼の映画の感覚とピタリと一致している。

それはちょうどウィリアム・カーロス・ウィリアムズ(1883 - 1963)の自由詩 "This Is Just To Say" のようだ。

I have eaten / the plums / that were in / the icebox
and which / you were probably / saving / for breakfast
Forgive me / they were delicious / so sweet / and so cold

この詩をパターソン(アダム・ドライバー)が台所で、求められてローラ(ゴルシフテ・ファラハニ)に読み上げるとき、ぼくらはこのプライベートな感覚がスクリーンに幾重に重なって響き渡るのを聞くことになる。

響き渡るのは詩ばかりではなく、日常の会話の数々。失恋した男に慰めの言葉として「俳優になれるよ」と言えば、その返事が「ぼくは俳優なんだけど...」というタイミングの良さ。朝のピロートークで双子ちゃんが登場すれば、あちこちに双子を登場させてしまうのは、どうやら脚本にはなかったものらしい。エキストラに双子のカップルがいたので、即興的に利用することを考えたというのだけど、そんな偶然を取り込むことで、映画は外部にひらけてゆく。

たとえばパターソンのバスの乗客たちの会話は、どこかか心地よくパターソンの耳に入ってくるのだけど、ぼくが反応してしまったのは、大学生のカップルの会話のなかに登場した、イタリア移民ガエターノ・ブレッシ(Gaetano Bresci, 1869 - 1901)の逸話。1900年の7月にイタリアはモンツァで、国王ウンベルト1世を暗殺した人物だが、ジャームッシュのパターソンに住んでいたなんて、ちょっと驚きだ。

この会話のポイントは、王を殺しても死刑になることがないイタリアの刑法への驚きにある。そうなのだ。イタリアはヨーロッパのなかでも死刑を真っ先に廃止した国でもある。刑法学者のチェーザレ・ベッカリーア(1738 - 1794)によれば、「法とは公民の意志の表明であり、殺人を嫌悪しこれを罰するものであるのに、その法が、ほかならぬその殺人を犯し、殺人から市民たちを遠ざけるために、公的な殺人を命じるようなことは、わたしには馬鹿げたことに思えるのであります」と述べている。

死刑の廃止は、そんなベッカリーアの死後100年近くしてからのことになるが、それでもヨーロッパの先進的な範例であり、その範例によってパターソンのアナーキストが王殺しにも関わらず終身刑におわり、死刑の宣告を受けることがなかったという逸話に、死刑の廃止がほとんど議論されることはない国にあるぼくらが、アメリカの学生たちの言葉と、奇妙に共鳴してしまうのは、それもまた詩的な作用なのかもしれない。

あとは『ミステリートレイン』以来27年ぶりという永瀬正敏の登場。一緒に見ていた娘が、突然日本映画になったと驚いていたけれど、それもまた詩なのだろう。詩を翻訳することは、レインコートを着てシャワーを浴びるようなものだという感覚もまた、ひとつの詩なのだということを、いかにも日本的なブルーがかったスーツに身を包んだ永瀬の存在が教えてくれる。

少なくともぼくには、詩は翻訳不可能ではない。詩の翻訳そのものが詩の創作にちかい作業でなければ、どうやってフランスやイタリアの詩人が、アメリカの詩人たとえばパターソンやその恋人ラウラの心を、震わせることができるというのか。そしてどうやって、ジャームッシュが小津安二郎の映画を好きになれたというのか。

そんな気分を味あわせてくれる映像もまたすばらしい。フィルムにはマジックがあるがデジタルにはそれがない、というのジャームッシュのスタイルだというのだが、この映画はデジタル撮影だという。

『オンリー・ラバーズ・レフト・アライブ』はほとんどが夜のシーンだったから、夜間撮影に強いデジタルを使ったというのだが、この作品では昼のシーンも多い。たとえマジックがなくても、マジックの正体さえわかれば、その効果を再現できるところがデジタルの良さ。そうジャームッシュを説得したのが撮影監督のフレッド・エルメスだったという。

いやはや、ジャームッシュという人の人との繋がり方、付き合い方というのが少し垣間見えるようでもある。実際、永瀬とも27年のブランクとはいえ、やりとりはあったというのだから、この人の作品には、この人の人とのつながりが反映している。なるほどジャームッシュの映画だよな、そう思わせる秘訣は、きっとそのあたりにあるのだろうな。
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