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ジュリエッタのKKMXのレビュー・感想・評価

ジュリエッタ(2016年製作の映画)
4.3
相変わらず考察しづらいアルモドバル。本作はジュリエッタという女性が娘との関係を軸に半生を振り返る作品でした。
非常に面白かったです。泣けるとか感動するとかではなく、ジワ〜っと沁み入ってくる感じのガーエー。


中年(初老くらい?)の女性ジュリエッタは、12年前に一人娘に家出されて独りで暮らしてます。一応彼氏はおり、ポルトガルに引っ越して新しい生活を始めようと計画してましたが、偶然娘の友人と出会ったことで娘への思いが溢れ返り、ジュリエッタは亡き夫との出会いから娘アンティアとの日々を回想するというストーリーです。


ひとりの女性のままならない半生を丹念に描いており、そこから伝わってくる彼女の人生に通底しているイメージは、裏切りと罪の意識ですかね。
ジュリエッタの父親は認知症の母親をほったらかして異国の若い家政婦と結婚しました。ジュリエッタも昏睡状態の妻を持つショアンと恋に落ちて結局掠奪婚しました。そしてショアンは幼なじみの芸術家アバとも肉体関係を持ってました。
この裏切りの連鎖のような世界で生きてるジュリエッタは当然罪悪感があり、それは序盤に登場する自殺する旅行者やショアンの家政婦によって外在化されています。「これらの不幸はお前のせいだ」と。

で、実際にジュリエッタは娘アンティアも結果的に裏切ってしまいます。ショアンが亡くなったことをアンティアに伝えず、アンティアはその間キャンプや友だちとのバカンスを楽しんだのです。これがアンティアに深い傷と罪悪感を植えつけたことは想像に難くないです。
しかもショアン亡き後はジュリエッタは不安定になり、まだ少女のアンティアにテイクケアさせてましたし。
その果てにジュリエッタはアンティアが18歳になった時に、娘に捨てられました。


なんですかね。こう見るとジュリエッタはクソ女なんですが、不思議とザマァ感を覚えることはなかったです。ジュリエッタの裏切りを重ねる愚かさに、人間に共通する業のようなものを感じ取ったからだと思います。
多かれ少なかれ我々は愚かです。欲望に敗れて誰かを傷つけ、そして自分も傷つく。因果応報が繰り返されるも、そのたびに痛みを受け入れていくことが、自分の人生を生きることにもつながるのかな、と推察しました。

アルモドバル作品は基本ラストに希望が照らされるような印象があります。それはダルデンヌ兄弟のように人間の良心を信じることが故に描かれる希望とは少し違うように思います。
アルモドバルの希望は、救いに近いかも。もっと超越的な印象です。おそらくこれが宗教的な背景(カトリック・マリア信仰)によるものなんだろうなぁと感じました。
とはいえ、神様が救ってくださる的な無責任さは感じず、罪に苦悩したものが結果的に赦しを得る兆しを感じる…みたいな印象。本作や『トーク・トゥ・ハー』を観ると、痛みを感じて苦悩することが、この厳しい世界を生きる人間の宿命のように感じました。そしてその宿命を生き抜いた者に、神はわずかな赦しを与えるのかなぁ〜、というのが信仰心の大事さを理解しつつも特定の宗教には帰依せず、知識もまるでない俺っちが抱いた本作の感想でありました。


あと、本作のユニークさは、ジュリエッタの人生よりも悲痛だったであろう娘アンティアの人生にフォーカスを当てなかったことです。あくまでもジュリエッタの視点からしかアンティアの苦悩はわかりません。断片的な情報から彼女の人生を想像するのも、本作の独特な面白さだと思っています。

ちなみにアンティアのお友だちのベアちゃんは上品なパツキン美女で、チョイ役ながらも満足しました!
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