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ノー・ホーム・ムーヴィーのnetfilmsのレビュー・感想・評価

ノー・ホーム・ムーヴィー(2015年製作の映画)
4.3
 冒頭の激しい風に見舞われる木々のショットの揺れが何か尋常じゃないほどに作家の感情を震わせる。観る側としてははっきりと「長ぇよ」と思うものの、次のショットでは肥満男の無邪気で平和な背中を映し出す。次のショットは母親の家のほとんど手の行き届いていない庭の映像を長々と映し、肝心要の母親はなかなか出て来ない。シャンタル・アケルマンのこのドキュメンタリーに対する消極的な編集姿勢は、母親との距離を最期まで推し量ることが出来ずにいた娘シャンタルの姿を言わば逆説的に炙り出している。自分を産んでくれた母親でありながら、得体の知れない赤の他人でもある。然しながら彼女がアウシュビッツから辛くも逃れることが出来たおかげで、自分自身の人生が始まった。ブリュッセルとニューヨークとの二重生活で過干渉な母親から逃れた頃の日々は『家からの手紙』で描いているのと一緒。つまり若い頃の彼女は母親からの手紙や連絡を一切無視し、我が道を行く。なのだが後年、母親の手紙の文面を一字一句変えず、母親の言葉を母親になったつもりでアフレコするアケルマンは狂気にも似た世界をひた走る。かつて同一視出来ていなかった母娘がこうして同一視される。一度同一視してしまえば今度は娘の方から母親への激しい愛の応答が始まる。

 不器用ながらとにかく母親の内面から言葉を導き出そうとするシャンタル・アケルマンの意欲にやられてしまう。『家からの手紙』では心底鬱陶しかった過干渉な母親からの問いをここではブーメランのように娘があまり体調も良くない母親に繰り返す。それ自体が大変暴力的で、家族とはいえ空気を読まなさ過ぎているようにも見える。率直に言って老い先短い母親が大変気の毒に思えてならない。女の居場所だと規定された台所では母娘の率直な会話が進められるが、それに対しても娘シャンタルは異を唱え、母が知らなかった父の一面をとうとうと語るのだ。ここではないどこかを夢見て、実際に旅立った娘シャンタルの世界を母は知らない。だがシャンタル自身も母親との閉じた世界に縛られ、ここではないどこかにいるものの母親が無性に気になるという矛盾に苦しめられる。中盤のゴツゴツとした岩肌の車内から撮られた映像がまた観客にとっては地獄なのだが、シャンタルの奇妙な応答は外の世界を知らずに人生を終えた母ナタリアへのはっきりとした私信にも感じられる。後半、汚いどぶ川の水面を映し続ける様子にシャンタルの孤独な影が映っている。どこにいても孤独な自分。そしてどこに行こうとも自分を愛してくれた母親。母親の死から1年半後、シャンタル・アケルマンも自死でその生涯を唐突に閉じた。双極性障害に苦しんでいたという。
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