菩薩

野獣死すべしの菩薩のレビュー・感想・評価

野獣死すべし(1969年製作の映画)
4.1
どっかの企業の会長が社内報に「生殺与奪の権利は私が握っている」やらなんやら書いて世間から白い目を向けられていたが、生殺与奪の権利など等しく万人に与えられているものであり、そもそも企業の生殺与奪の権利を握っているのは消費者なのであって、お門違いにも程があるし阿保だな思った、となんら関係ない事を思い出した。生殺与奪の権利を行使したが為の因果応報、他人の命を無闇矢鱈に奪う者は、自分の命を無闇矢鱈に捨てる事となる円環。少年を轢き殺した挙句逃げも隠しもする宮崎文夫を超える「人として0点」ぶりを発揮するポール、ただ彼を肯定するのが母親のみであり、大変狭い世界の中で人生が完結している点は似通っているし、この母親の存在(マザコン)が、この物語が実は父親殺しではないのか?と観る者をミスリードするのに抜群の効果を発揮しているのではないかと思った。ブラームスのなんちゃらかんちゃら(完全に題名を忘れた)が効果的に用いられているが、ZAZEN BOYSの「泥沼」でも十分通用する、シャルルがずぼっとハマった泥沼は殺意と憎悪に満ちており、復讐こそが彼の生きる目的へと変化していく。野獣死すべしの「野獣」とは誰であるのかもストーリーを追うごとに徐々に変化していく、慇懃無礼なポールは野に放たれた野獣そのものであり、彼に憎悪を抱く事それ自体に面白味を感じてしまう様になるシャルルもやがて野獣と化す。凪から始まり荒波を経て再び凪へ、海で始まる物語で海で幕を閉じる。死についてのクリシェを語る最中、徐々に燃え尽き時間経過を知らせるタバコのクリシェ、ちなみにクニナマシェだとJAGATARAになる、傾き掛けた世界は遂に壊れた。
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