テイアム

ブラック・スワンのテイアムのレビュー・感想・評価

ブラック・スワン(2010年製作の映画)
4.3
   ✼過去鑑賞分✼

   努力や物事に対する真摯さは自己実現の為の最も強力な手段で、それによって獲得したものは揺るぎない自信の源になり得る。その実績は誰にも非難できないし、獲得した地位が高ければ高いほど当事者にもたらされる高揚感は計り知れないものがあるだろう。
   しかし当然ながらそれも永遠とは限らず、遅かれ早かれ地位というものからは誰かに“奪われる”形で退くことになる。そこで初めて当人には、周囲が賞賛していたのは“その地位にある者”であって、“個人(自分自身)”ではない事に気付く。そういう機会が与えられるのだ。自分の置かれた環境を冷静に、また客観的に見ることのできる者はその時引き際を知るだろう。
   ところが、そうはいかない者もいる。自分自身が“受け取るべき”賞賛を他人に奪われようとしていると感じた時、また自分の地位が脅かされていると知った時、怒りや攻撃の矛先を容赦なく他人に向ける者だ。本来、誰であれそのような状況に置かれた時に自分自身が闘うべき相手は他人ではなく自身の中に芽生える嫉妬や焦りであるのだが、分かりやすく敵となり得る者が目の前にいたら、自分の中に潜む影に気付く事が困難であることも無理はない。
   しかしそれらはいつしか心の中に身近な実在の人物をモデルとして仮想敵を作り出し、昼夜を問わず想像の中で絶え間ない口論や小競り合いを繰り返す。心の中の終わりのない闘争によって時間を掛けてゆっくりと疲弊していけば、蝕まれた精神は当人の顔つきを変え、言動を変え、周囲との断絶が始まる。
   そうして狂った人間は、周囲から孤立して一人薄ら笑いを浮かべている。
 
   物語の序盤に、ナタリー・ポートマン演じるニナが電車の中で黒いコートを着た女性を目で追う場面がある。その後のシークエンスでその人物はミラ・クニス演じるリリーである事が明かされるのだけど、後ろ姿や僅かに覗く横顔は、あれは紛れもなくニナだった。この時既に彼女の精神には嫉妬や焦りが投影された仮想敵が生み出されていたのだ。
   そうなってから人の転落する様は早く、精神を病んでいるのなら尚更だろう。
   本作はダーレン・アロノフスキー監督のテイストにハマった題材でもあり、終盤はとてつもない勢いで堕ちるニナの様子と対照的に凄味を増していく演技が煌びやかに映し出され、これらは観る者に危険な高揚感に似た感覚を与える。私たちは物語が終わった時、ニナに対する手放しの賞賛の感情と同時に、それとはまた異なった、どこか冷めた目線を彼女に注いでいる。
   そして彼女だけが、焦点の定まらないまま遠くを見つめ、うっすらと恍惚の笑みを湛えているのだ。