青眼の白龍

カーラヌカンの青眼の白龍のネタバレレビュー・内容・結末

カーラヌカン(2017年製作の映画)
1.0

このレビューはネタバレを含みます

沖縄県とGACKTのプロモーション動画。単純につまらない。デビルマン以下。映す価値無し。懲役90分。

世界的に有名な写真家が沖縄で少女に恋をするだけの話だが、驚くほど中身がない。ざっと目についた脚本上の問題を挙げると、まず序盤の展開が早すぎる。ヒロインと出会うまでの間に主人公の人物像が一切描写されないため運命的な一目惚れというより変質者にしか見えない。主人公の言動が気持ち悪いことはまだ許せるが、他の登場人物にさえ共感できないのは問題だ。娘が失踪したのに落ち着いている母親、意味不明な説明で納得する警官、ヒロインを悲しませたくないと言いながら一人で沼地に向かわせる男性など……さらに神隠しにあったヒロインが何事もなかったかのように帰宅していたり、突然記憶喪失になったりと、全ての展開に合理性がなくスピリチュアルな雰囲気で取り繕っているだけにしか見えない。会話シーンも思想的な言葉をなんとなく並べているだけ、クリエイター気取りの自己満足が透けて見える。物語の核となる「ノロ」の設定も圧倒的に説明不足。ヒロインはまだしも、本土から来た写真家に謎の声が聞こえる理由が不明である。一方、画を重視したのか不要なシーンがあまりに多く、5分の内容を90分に引き伸ばしたような薄っぺらさを感じた。大人の事情から島民の姿を映さざるを得ないのだろうが、本筋とは無関係なプロモーション映像が繰り返し挿入されるのでストーリーに集中できない。
なにより主人公に葛藤がほとんど見られないのが致命的である。主人公全能型のラブストーリーでは具体的な敵対者がいないと物語が単調になるという典型例だ。本作では二人の仲を引き裂く敵対者として「神」という極めて抽象的な存在を仄めかしだけで介入させてしまったので、観客が放置される結果になっている(その点、同様に神性が主人公とヒロインを引き離してしまう『天気の子』では、社会的道徳としての警官を敵対者として配置することで物理面を上手くカバーしていた。比べるのもおこがましいが……)「東京の暮らしを取るか?愛に生きるか?」という二者択一にしても、躊躇なく恋人を振った上で仕事を放棄して沖縄へ戻ってくるので無責任さしか感じない。蝶に導かれて滝から落ちるクライマックスは最悪。何がしたいのかわからない。要は作り手の頭の中で一切が自己完結している。観客を意識していないのが丸わかりなので、ストーリーを追いかける気にもなれなかった。劇中に何度も「Createーー創造」という言葉が登場するが、創造するだけなら誰にでもできる。幼児にだってできる。創造物を媒介にして思想や感性を主張し、受け手を感動させてこその“映画”だと思うのだが、勘違いの自己満足に終始している映像は“動画”と呼ぶしかないだろう。他にも「長々とぶち込まれるスピリチュアルなメッセージが邪魔」「東京での撮影中にカッターを振り回す意味あった?」「結局三日月の傷痕は何なんだ」などツッコミどころは多々あれど、褒めるべき点はほとんどない。というか全くない。

……と、散々批判したがヒロイン役の木村涼香ちゃんは場面が進むにつれて魅力を増していたし、大自然の中での透明感が印象に残った(と思っていたら最近引退したらしい。ダメじゃん)。主演のGACKTにしても与えられた役柄に対して最低限必要な演技を見せてくれたように思う。これは作品が悪い。主演が藤原竜也だろうが斎藤工だろうが本作の評価が変わることはない。GACKTは『翔んで埼玉』で今までにないコミカルな作風を演じきった実力があるので、今後の活躍に期待したいところだ。
問題の脚本にしても、岩下悠子女史は『3月のライオン』で高い評価を得ているし、杉山嘉一氏も話題作『ダイナー』に名を連ねるなど決して実力不足というわけではないことを名誉のために指摘しておく。本作の失敗は全て原作・監督に起因することは明らかである。浜野氏はデザイナーおよび総合プロデューサーとしては優秀な方らしいので、今後はそちらの世界で日本を牽引してほしい。