Jeffrey

青春残酷物語のJeffreyのレビュー・感想・評価

青春残酷物語(1960年製作の映画)
3.0
「青春残酷物語」

冒頭、ホテルに連れ込みされそうになる女。一人の男の助け、身体を重ねる関係、安保反対のデモ、不倫と同居、妊娠、美人曲で金を稼ぐ。暴力、ヤクザ。今、二人の出会いが破滅へと向かう…本作は昭和三十五年に大島渚が松竹で監督し、松竹ヌーヴェルヴァーグと言う言葉が生まれるきっかけとなった映画であり、それまでの松竹映画のイメージを大いに覆すると共に大ヒットを記録し、六〇年代初頭の政治思想などを背景に、若者特有の虚無感や、それ故の暴徒が見事に描出されている。これが当時のフランスの映画運動ヌーベルバーグの日本版とも言うべき映画なのだろう。二〇一四年度にはカンヌ映画祭クラシック部門で上映されたデジタル修復版が今回BDで登場し、数年前に購入して久々に二度目の鑑賞した(YouTubeで大島渚特集をするため)。

この作品のすごみと言うのは、戦後の日本は父のなき社会と呼んでいた時代がこれで、父の権威と力との喪失がその病根であり、弱い父親を印象深く描き、敗戦によって一夜の中に道徳的判断の基準を見失って一人娘の非行も止めることができなくて、しかし娘の方が正しくてそれに嫌悪を抱く自分の方が間違っているのではないかと迷うほかなくなった中年男を演じた父親役の浜村純が強烈に印象に残った。当時の父の置かれた無力感を代表した場面であった映画全体を通して。この父親と「儀式」に出てくる元高級官僚の祖父とは大違いである。


さて、物語は中年の男にホテルに連れ込まれそうになった真琴は、大学生の清に助けられた。その後二人はお互いをいたぶるかのように遊び、体を重ねていく。清は人妻と不倫していたが、真琴のことが忘れられず、やがて二人は同居を始め、美人曲で金を稼ぐようになる。しかし、まもなくして真琴が妊娠していることが発覚。子供を堕ろせと言う清に反発し、真琴はアパートを出て行くが…と簡単に説明するとこんな感じで、「愛と希望の街」で監督デビューを果たした大島渚監督が、続いて美人曲で金を稼ぐ若いカップルの破滅的道程を描いた鮮烈なる青春映画で、この度久々に見たけど映像は綺麗だ。この作品はカンヌ国際映画祭クラシック部門選出で再上映されていた。大島渚映画と一目で分かる政治色…本作では安保法制反対、沖縄を返せと言うビラをチラつかせたり後の彼のスタンスになる題材が此処にある。そして本作の残酷な結末と破滅へ向かう若者たちがなんとも…。

今思えば松竹が低迷する危機打破のために社長自らが製作指揮で社会性のある作品を積極的に新人監督に撮らせていたと言う方針を思い出した。そういった中、大島に白羽の矢が立ち、シナリオ集に発表した「鳩を売る少年」を映画化することになるのだが、題名が地味だと言うことで「愛と希望の街」と変更され、これが大島のデビュー作になる。彼自身題名の変更に抵抗したそうだが、完成した映画を見た社長がぐちぐちと文句を言ってたそうだ。結局、公開は二番館のみと言う冷遇を受けたそうだが、一部の映画評論家は高く評価したとのことだ。そういった中、美人局をする若い男女の姿を描いた本作が六〇年に登場する。性と暴力の生々しい描写で若者を中心に客を集めヒットした「青春残酷物語」の次に、釜ケ崎を舞台とした「太陽の墓場」を監督した大島は、これでもヒットを世に出すことになる。そして「青春残酷物語」で、第一回日本映画監督協会新人賞とブルーリボン賞を受賞することになる。本作が作られた時代と言うのは、安保闘争の真っ只中で封切られたこれらの映画で描かれた性と暴力と強靱な作家的自己主張は、吉田喜重や篠田正浩ともに、ジャーナリズムによって、松竹ヌーベルバーグと呼称され、日本映画の新しい波の到来を印象づけるとともに、大島をその旗手に押し上げた事は有名な話だ。

もう少し話をすると、さらに第四作として自らの学生運動体験を六〇年安保に反映させ、その総括を時間軸が交差する大ディスカッション劇として展開した「日本の夜と霧」を発表するが、封切らて四日目に起きた浅沼稲次郎社会党委員長刺殺事件の余波から、わずか四日間で上映が打ち切りになると言う事柄が起きた。これによって彼は松竹と決別して独立プロとして「飼育」と言う作品を撮ることになる。なので松竹と契約期間を残したままの退社になるので、違約金を当時払ったんだろうなと推測する。そうすると六〇年代に三本以上の作品を撮っていると言うことになるので凄いなと感じる。そうして創造社で発表した「天草四郎時貞」の興行的失敗を経て、三年間劇映画から離れてしまう大島だが、テレビドキュメンタリーをいくつか撮った後に、六十五年にまた松竹と創造社との提携で「悦楽」をで劇映画に復帰する。今作には評価がある。そして韓国人少年の姿を詩とスチール構成で描いたドキュメントの「ユンボキの日記」を経て、「白昼の通り魔」から「忍者武芸帳」」日本春歌考」「無理心中日本の夏」などジャーナリスティックな話題を作品してきた(ユンボキの日記は少年のDVDの中に収録されている)。そして六十八年に日本アートシアターギルドと創造社提携第一回作品として「絞死刑」(米国クライテリオンで大島渚作品でブルーレイ化されているのは本作と愛のコリーダ、戦場のメリークリスマスのみである)を発表する。因みに朝鮮人犯罪者を裁くのを反対した(死刑制度反対運動)物語である。これがこの時時点で大島渚の圧倒的傑作として評価を得ている。本作の前に「帰ってきた酔っ払い」も監督していたはず。

そしてここから私の好きなATG作品で多く監督をしている。「新宿泥棒日記」「東京戦争戦後秘話」は「少年」「儀式」「夏の妹」これら全てがアートシアターギルドである。そうした中、七十五年以降フランスのアルゴス・フィルムと大島渚プロとの提携で阿部定実験をモチーフにしたハードコア映画「愛のコリーダ」を監督し世界的にヒットした。確か京都で撮影したフィルムをフランスで現像して逆輸入すると言う形をとっており、当時話題になったと記憶している。エロスの極限を徹底した映像美で描いて世界から絶賛された話は有名だろう。以後、フランス資本の協力で「愛の亡霊」(愛のコリーダの主演の藤竜也が批判の的になり、彼の名誉を回復するために映画化されたと、クライテリオン版のブルーレイの中のインタビューだったか違う雑誌か何かで関係者が言っていたのを記憶している)を監督し、カンヌ国際映画祭で監督賞を受賞する(YouTubeにその映像が落ちているのでみると面白い)そして八十三年にはイギリス資本で最も日本で大島渚作品で最も見られていると思われる「戦場のメリークリスマス」を発表し、八十七年にはまたフランスでシャーロット・ランプリング主演西「マックス、モン・アムール」と言うチンパンジーに恋をする女の物語を監督した。ここから大島渚の苦労な日々が起こる事は大島渚ファンには周知の通りだろう。九十六年に脳梗塞で倒れるが、病を乗り越えて九十九年、久々に松竹で「御法度」を発表することになる。これ以降彼は監督を何一つやっていない。

ちなみに、脳梗塞で倒れたのが日本ではなく外国(英国かフランスどっちかだったと思うが)、早期発見のため大事には至らなかったようだが、大事な右手が麻痺してしまい三年間大島家族は大変な思いをしたそうで、特に奥さんが自殺すると息子たちに電話で伝えて大騒動になった話を昔、中居正広の金スマと言う番組で大島渚特集をしていたのを見た記憶がある。なので「御法度」が先延ばしになり、松田龍平のデビュー作としても有名になったその作品は、復活した後大ヒットしたそうだ。北野武は大島に手紙を送ったなどと言う話もある。これもきっと大島渚金スマで検索するとYouTubeに古い映像が落ちているはずなので、鑑賞すると大島渚の闘病生活が知れて非常にためになる。長々と「青春残酷物語」から少し彼にフォーカスした話をしてしまったが、大島渚が好きな私にとっては(彼のイデオロギーは相容れないが)彼のような挑発的で中身が辛辣な作品を撮る監督が今この日本にいないのが非常に残念であると思う。改めてご冥福をお祈りする。
Jeffrey

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