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青春残酷物語のotomisanのレビュー・感想・評価

青春残酷物語(1960年製作の映画)
4.5
 暮れなずむ街の光と陰のなか、愛する二人が何しよう何しようかと途方に暮れる。警察にしょっ引かれて、慌てた大人たちの手配でまた娑婆に舞い戻っても、もう昨日の二人には戻れそうにない。
 自分を道具・売り物として生きるのが嫌だといっても、いつまでも子供の頭で生きてはいられまい。体一つが売り物ならば、身を粉して働く事から身体をそのまま売る事まで生かしようがある。何に唆されての乱脈か、大学まで入って、もう一回り大きく自分の活かし様に思いが至らんのでははなしにもならん馬鹿者だ。
 なるほど、熟女の愛玩児にされてちゃあ暴れたくもなるか。だが警察の厄介になってみれば嫌でも知れる飼い主の世間的力で自身の頭打ち振り、成すところの無さ。それがユースケに守られてうれしいミユキには未だ分からぬようだ。こんなばらけた二人が飼い主オバサマに当てつけるくらいはこなせても明日を迎えることすらもう手に余る。だからって、これでよかったんだろうか?別れて勝手にやっていくことで。足を出して懲りたかに見えてユースケ何度目の逃げだろう。いっとき一人に逃げ込んで、それこそ曠野で神にでも出会えるだろうか?
 今はとても正業に就けそうに無いユースケがミユキを遠ざけても、将来はおろか明日を迎える事も覚束ない。さもなきゃ大都会は悠長に悟りの開けを待ってはくれない。こんなユースケを殺すやくざ者らだってやくざならではの凌ぎで生きて組に親分に貢いで暮らしが成り立つ。抱き合って手を握って生きているのを実感できても、生きていくには程遠い二人。だから一人でどうする。二人生きてるあの実感もなく遠く離れて死んだも同然で。
 監督が残酷なのは、生きていく事に目が覚めない二人を遂にバラバラに殺すところだろう。どうせ二人でいてもやくざ者に追い詰められて死ぬ二人、死に花を二人で一輪と咲かせ切るいい格好させようなんて毛ほども考えなかったろう。育ち足りない二人の足りなさそのままに地に落ち踏みにじられてこと切れる。死んで鞭打たれる残酷こそこんな二人にはふさわしいとばかりに。
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