わたふぁ

マンガをはみだした男 赤塚不二夫のわたふぁのレビュー・感想・評価

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戦後シベリアからボロボロになって帰ってきた父親は以前とは別人のようで動作がのろかったり、家の中を荒らすこともあったそうだ。6人いた兄妹はいつしか3人になって、死別していなくても経済的理由で離れて暮らすしかなかった。
赤塚不二夫さんのwikipediaを少し読んでも壮絶な少年期の一端を知ることができる。そんな辛い過去を抱えた人が家族モノのギャグ漫画を描いた。とても陽気に「これでいいのだ」と。

1962年の『おそ松くん』『ひみつのアッコちゃん』で一躍人気作家となり、1967年『天才バカボン』が爆発的にヒットしたとき、赤塚不二夫はまだ32歳。この若さで、壮絶な過去を飲み込んで「これでいいのだ」と全力で笑い飛ばせる強さがすごい。ギャグや漫画のセンスは天才的なのだろうけど、人に笑ってほしいという願望が途轍もなく大きかったみたいだ。

漫画の才能を開花させてからの華やかな時代の話は楽しかった。
印刷してコピーなどしていない肉筆の漫画を集めて回覧誌にして、全国津々浦々、回し読みして、誰がどんな内容のマンガを、どんな紙に、どんなインクで書いたのか、見るのが楽しかったんだって。
トキワ荘に錚々たるメンバーが集まる前の、まだ戦後のみんなが貧しかった時だけど、空腹よりも楽しいことで心は満たされていたんですね。

そして売れてからはマンモスキャバレーで乱痴気騒ぎなどなど。時代を感じるキーワードがたくさん出てきました。それからは酒に溺れて幻覚に悩まされて、漫画を書かなくなって、テレビにも愛想をつかれて、、という時代が続いたらしいけど、

赤塚不二夫を語るすべての人が、おのおので“赤塚不二夫を哲学”しているのが面白かった。「もう、なんなんだろう、この人は〜」と良い意味でも悪い意味でも、沢山考えさせられる、見所の多い人物だったのではないかなと想像します。