harunoma

息の跡のharunomaのレビュー・感想・評価

息の跡(2015年製作の映画)
4.5

わたしたちのあいだに

台風、心配です。大丈夫ですか
こちらは都内で、目の前は河川ですが
緊急速報のベルが鳴ったら、一時停止をしながら観ることになりました
不謹慎ながら思いもせず、台風、大雨とおなじタイミングで『息の跡』を観ることになった

「 技術を作る場合は作為的なこととか、ごまかしたりとか、それやると技術はできねぇんだよ。本当のことをどんどん、どんどん調べていかねぇとダメだ 」

雪はふる、雪がふる。雪の中の獅子舞のロングショットは幻のように過ぎ去る
朝起きの靄がかり
無名の領域のために

人情からめば ついほろり
わたしは悲しみの種なんかは売っていない
魂のことをはじめる
ヤッ! ヤッ、ヤッ、よっ!

よくしゃべってくれる。
対話篇ぎりぎりの
しゃべらざるをえないのか、わからないが
すべては明白に穏やかに、そこにいる。いまがいつなのか、何日ここにいるのかももうさだかじゃない
小森さんの声がかわいい
うん、はい、なんで? そりゃあそうだ でも似てる すごい 苗ですか? なに? うん なんて書いてあるんですか ああ そうなんだ ほいど わっ ほんとに分かんなくなると思う すごい の彼女の応答の声の方が大きい(わたしはアッちゃんが言うようには失語とは思わない) 近い、マイクにそのまま拾っている 応答の声が彼女の視点を補完するというよりも、声が近い
ゆえに画面の被写体よりも、小森の声が近くに定位するときがあった
佐藤さんは、カメラを見つめ、小森に軽く聞き返すときがあるが、わたしたちは小森と同じ場所で、切り返されている というより途中からほぼ会話をしているのだけど 一緒にいることに
彼女は故郷においての娘のように父の姿を撮る、かのように。
美しい書物はどれも一種の外国語で書かれている
それにしても佐藤さんは潑剌とスマートで、とてつもなくおもしろい方だった
ときに空ショット 誰もいない 風が吹いている
あるときはショットはない、別にそんなものはいらない

最後に黒みとともに喪に服す音は、
光と風が言葉をささえる 恩寵とも似ないそのささやかな震えにどう応えれよう

東北三部作の濱口の押し黙った苦しい顔を自分で切り返すあさましさ(計算可能性)より(この不粋な作家の顔と今のドローンの空撮の映像にどんな違いがあるのか)も
透明に誠実にいさぎよく、寄る辺なくも寄りそう いくばくかの息(音読とともに)がたくさん流れて(いわんや仕事、手仕事、時に遊びのように、歌もはじまる、をみつめるのはやはりおもしろい。全部は未見だが東北三部作にはあったのかしらこんなこと、濱口のカット割り=不遜なる被写体正面へのカメ位置の計算演出、即席スイッチングとそれにともなう世界への存在論的侮辱=卑劣な手捌きとその映画を編集する醜い豚たちの労働しか見えなかったが。印象の自由はそれぞれです、わたしは馬鹿馬鹿しくなってそれ以来ドキュメンタリーをあまり観なくなった)、
世界は、風景は、物たちは、やはり、そのようにすぐに名指されえるほど特別ではない(映画は「無用なもの」の流れにある=小津、世界=時間)し、
知性を借りてそんなことをする呑気で卑劣な作家(まさにそこにいて撮ることと、映画史や作為的な形式は直接的には関係がない)はここにはいない
指し示すこと、目の前にあるものは、見ることを共有すること あなたと一緒に
種、苗、土とともに、木々との対話、目の前の樹齢を語り、外国語で魂を書く情熱、その土地にいた者たち、樹木からかつて昔の津波の高さを測る、郷土史を語り、道慶さんの石碑をよむ、あるいは喪に服すことそれにもまして
もう目に見えないものは、ただ言葉を聞くこと 過去や歴史はそこに住まう人の実感を通して私たちに伝ええる 記録は津波に流されてしまうこともある
語りを聞くはるか手前で、人は、しゃべりだす、仕事をする、朗読する、物語す


十五日山形へ行けるやろか

わたしはタル・ベーラに、あるいは彼のようなアティチュードに反対する者です(計30カットほどしか観てないけど)
さっきtwitterのTLにタル・ベーラという馬鹿な監督(映画祭で「映画はもう終わりだ」とタル・ベーラが呟いて、同席していたビョークがキレる。お前は自分で引退したんだから黙っていろ、黙れ!映画は可能性に満ちている!と叫んだというビョークは正しい)が「そもそも、映画は1時間半くらいの尺であるべきだなどと、誰がいったのでしょう」
とほざいていたが、アメリカ映画を持ち出すまでもなく、この映画も93分だったのでさもありなんと感じた。佐々木中ではないが、魂が腐り切った、人間の尊厳を無視する老いぼれは黙っていろと言いたい


音はフェードアウトして静かになる 夜祭のパンニング 花たち (『息の跡』)


「 物たちが所有するのは名前だけ 」
    「 砂漠を想像してごらん 」(ゴダール/ソォーシャリズム)
                                     
「 地獄を目まで浸して歩いた
  老人たちの嘘を信じ
  やがて不信のうちに
  故郷に帰ってきた 偽りの国に
  虚偽に満ちた故国に 」   
  エズラ・パウンド詩集(「わが墓を選ぶためのE・Pの頌歌」)


そう、パウンド・サウンドなき世界にあって、小森の映画のかろやかな真摯さは、わたしたちのあいだにあの息をよみがえらせる。
そろそろ避難する時間だ こんな日に。
こんな場所で ともあれ
adieu 上白石萌歌
harunoma

harunoma