りりー

海は燃えている イタリア最南端の小さな島のりりーのレビュー・感想・評価

3.7
アフリカ大陸にもっとも近い、イタリア最南端の小さな島、ランペドゥーサ島。人口5000人程度のこの小さな島を目指して、なんと年間50000人を超える難民が海を渡るという。そんな説明が映画の冒頭で提示される以外にはナレーションもテロップも一切なく、社会派ドキュメンタリーとしては珍しい詩的な作品である。内容も難民問題のみを追うのではなく、同じランペドゥーサ島で起こる二つの営みに焦点を当てている。一つは島に暮らす少年・サムエレとその家族の日常。もう一つは、命懸けで海を渡ってくる難民たちの苦難。小さな島だというのに、両者が交わることはない。その事実は、現在の難民問題に関する人々の意識を示唆しているのかもしれない。

冒頭、島の救助隊に難民からSOSが届く。船が沈みそうだ、助けてくれと。救助隊は根気強く、いまどこですかと訊ねるが、返答は要領を得ない。まさにいま死に瀕している人の声を聞いている、という事実に決まりが悪くなる。そういう映画なのだ。救助挺が海へ向かい、船を見つける。場面が変わり、女性が食事の準備をしながらニュースを聞いている。昨晩の難民救出(つまり冒頭の場面)についてのニュースを聞いて、彼女は視線を上げないまま「ひどい話ね」と呟く。彼女にとって、そうした出来事はいつものことなのだとわかる。そして、そうしたニュース以上のことを、彼女は知らないのだということも。
難民は保護されたあと、身体検査を経て施設に寝泊まりすることになる。その過程もカメラに収められており、難民がじっとカメラを見据える顔つきが印象に残る。◯人を保護、◯人が死亡…ニュースで見聞きするそういった数字が、あの顔をした一人の人間であることをあらためて思い知らされる。

劇中、固定カメラで人々を捉えてきたカメラが、終盤の捉えるべき人物がいないあの狭い船室で、ゆっくりと回るシーンに呆然とした。カメラの目の前で痙攣する男性、傷だらけの人々、赤い涙を流す人、人の形に膨らんだ袋、折り重なった手足…。カメラを回していていいのか、と思う悲惨な状況。救助隊が必死に力を尽くしているように、撮影隊も必死で撮り続けたのだろう。だからわたしも彼らを観ることができた。きっと忘れられない。

映画の中で唯一、サムエレと難民のどちらとも関わりのある医者(神様が人の形をしているとしたら、こういう人だろうと思った)の、「こうした人々を救うのは、すべての人間の務めだ」という言葉が重く残る。
りりー

りりー