プペ

ある戦慄のプペのレビュー・感想・評価

ある戦慄(1967年製作の映画)
4.0
日曜深夜の都会の地下鉄、自身の人生に対し、様々な不満や不安や葛藤を抱えた人々が偶然に乗り合わせる。
それはどこにでもある日常の風景だろう。
そこに、単純な「粗暴」という言葉ではおさまらない、気が違っているとしか言いようがないチンピラ二人組が乗り込み、乗客たちそれぞれに傍若無人な行為を繰り返していく。
その行為は、「暴力」という範疇までには及ばないけれど、あまりに悪辣で乗客たちを精神的に追い込む。

最初のうちは、チンピラたちの蛮行そのものに対して憤りを感じ、気分が悪くなる。
しかし、次第に気分の悪さの対象が遷移し始める。
チンピラたちの行為に被害を被る乗客たちの生々しい人間性が露になり、気を滅入らせてくる。

この映画は1960年代のニューヨークを舞台にしているが、この地下鉄の一車両で描かれているものは、どの時代のどの国のどの街でも存在し得るであろう人間同士の″歪み″である。
その場に居合わせているのがごく普通の人間だからこそ、少しずつ表面化していく″戦慄″があまりにおぞましい。


「どこにいたんだ?」

退役後の大層な野心を述べていたにも関わらず、地下鉄車内に突如発生した「出来事(incident)」に対して結局何もしなかった同僚に対して、チンピラに唯一立ち向かった田舎者の軍人が、虫の息でぽつりと言う。

他の乗客たちは、すべてが解決した後も死人のように呆然と押し黙ったまま、とぼとぼと地下鉄を降りていく。
″戦慄″とは、突然現れた悪魔のようなチンピラたちなどではなく、彼らによって浮かび上がらされたすべての人間に巣食う屈折した心理そのものであること知らしめ、彼らと同様に自分自身があの車両に同席していたならと考えると、絶妙な後味の悪さに襲われる。


とても胸糞が悪くなる映画だった。

その胸糞の悪さは、そのまま自分を含めこの映画を観ているすべての人間たちが内包している要素であり、そのことが殊更に胸糞悪さを助長する。
観ているままに居心地の悪さを終始感じ続けなければならない映画だが、それは人間の″澱み″や″歪み″を如実に表している証明であろう。
故に傑作であることは間違いない。
プペ

プペ