居心地の悪さを終始感じる映画。その居心地の悪さは監督の思惑どおりなのだと思う。
ある"戦慄"とは2人組のチンピラたちのことではなく、自分自身のことしか考えず見て見ぬ振りや危機回避を試みる乗客たちの人間性を指すのだと、観客である私たちは気付く。しかしそれを断罪することは、乗客の誰にも、私たち観客にもできない。
理不尽に降りかかる"暴力性"は、人間の内側に潜む悪意と身勝手さと無関心を引き出し、それに立ち向かう"善意"は暴力によって屈服させられる。
バイオレンスな表現はほぼ無いが、観客が決め込む"見て見ぬ振り"はもはや一種の暴力。傍観者にしかなれない人間の愚かさ。
ただ1人チンピラたちに立ち向かおうとする軍人の青年も片腕は怪我をしていて、田舎出身でこの街の人間ではない。そこもまた、自分にハンデはないのに他人事の、都会人の無関心さを浮き彫りにしているように思う。
そして、事の発端になった、座席で爆睡している浮浪者を映し取る、皮肉めいたラスト。
自分ならどうするだろうか?と考えたところで、きっと自分も同じような反応しかできないだろうとまた落ち込んでくる。
「どこにいたんだ?」