シズヲ

ある戦慄のシズヲのネタバレレビュー・内容・結末

ある戦慄(1967年製作の映画)
4.7

このレビューはネタバレを含みます

深夜の電車を舞台にした密室サスペンス。人間が社会で生きていく中でどれだけの憂鬱を抱えているのか、秩序に押し込められた大衆がいかにルールを無視した「本質的な暴力」に対して無力なのか、本作はそれらを無情に炙り出してくる。日常に対する鬱屈を抱えている人間でも、身内には不満をタラタラ垂れ流すような人間でも、あのチンピラ達の前では何もできずに翻弄されるだけになるんだよな。理性や秩序の中で生きる社会人にとって、破壊的な真の暴力は途轍もない劇薬だということが余りにも解る。

淡々と描かれるチンピラの凶行からギラついたBGMのタイトルバックへの移行する流れでグッと引き込まれるし、そこから登場人物達の紹介がテンポ良く描かれる流れが素晴らしい。彼らの生活や人物像が端的に描写されるおかげで全員しっかりと記憶に残るし、誰もが複雑な事情を抱えていることも後に訪れるであろうサスペンスへの不安感を煽る要素として機能している。

チンピラ二人が再び登場する中盤からはサスペンスとして一気に加速。彼らがとにかく傍若無人に振る舞い、乗客達の中で痺れを切らして声を上げる者が時折出てくる。でも結局は何もできず、あるいは逆に煽られて乗客同士で醜く争って、周りの人間達も事なかれ主義を貫き、チンピラ達はゲラゲラと笑い続ける……そんな流れが延々と続く緊張感と不快感は凄まじい。

最後の最後にチンピラを制圧したのが彼らと同じ暴力であり、その暴力による反抗を目前した人々は「ただ唖然と傍観」していたのも印象的。そうして事態が解決して誰もが疲れ果てた様子で立ち去っていくラストの後味も苦々しくて秀逸。「自分にできることは?」「たくさんある」という掛け合いが本作の風刺を物語っている。

個人的に登場人物の中で印象的なのは白人を憎む黒人男性。彼は奥さんへ白人に対する暴力的思想を語り、いざチンピラが現れたら「白人達が虐められるのを見たい」という理由でニヤニヤと傍観を決め込む。あれだけ白人を叩き潰すことを語っていた彼が白人のチンピラに自分の思想を投影し、自分が絡まれる番になるまで当事者意識が皆無だったのが印象深い。警官が駆けつけてきた時に真っ先に彼が取り押さえられる描写、時代性どころかアメリカにおける一種の普遍性すら感じる。
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