このレビューはネタバレを含みます
茨城朝鮮初中高等学校の北朝鮮への修学旅行を追う。
日本で生まれ、日本で育ち、祖国北朝鮮、韓国を思う彼らは「悲惨な差別と偏見、幾多の困難に立ち向かいながら、それでも前を向いて生きている」。
そして初めて訪れた祖国北朝鮮は、日本で報じられるようなイメージと異なり、歌があり、温かみがあり、笑顔の絶えない国だった。
彼らは祖国での2週間で、何を学び、何を得て日本に帰っていくのか。
この映画は北朝鮮の内部(主に観光地)を映像を通して見ることが出来る。
正味、見どころはそこぐらいだ。
映画で伝えたいことは「朝鮮人学校への支援を止めるのは、そこで学ぶ子どもたちの権利を阻害する最低なことだ」ということだ。
つまり、朝鮮人学校の無償化に対する抗議が主な目的だ。
ちなみに、朝鮮学校は学校として認められているにもかかわらず、唯一支援を保留にされているのであって、学校と認可されていないブラジル人学校などは無償化はされていない。
物語は、その背景と経緯を基に北朝鮮での高待遇、道端でハゼを貰ったり、運動会に参加したりしながら、歌い、ちゃらけた内容になっている。
彼らは北朝鮮を祖国として繋がり、親近感を持ちながら、拉致問題や独裁政権などの政治的な問題とは一線を画している。
この矛盾がアイデンティティを苦しめているとしか思えない。
北朝鮮の子どもたちの歌とその動きは完璧だ。寸分のミスもないだろう。それをいとも容易くこなす姿は、おそらくほとんどの日本人の子どもは太刀打ちできないレベルだった。
だがそれは悲しみそのものだ。
何が彼らを歌わせるのか。これは最早、相対する「ユートピア」と「独裁国家」という矛盾による喘ぎにしか見えない。
それが北朝鮮の限界だ。
あたかもこれが輝かしい未来への歩みだと言わんばかりに美化し、臭い部分はひた隠しにし、蓋をする。
まさに、プロパガンダそのものだ。