COZY922

愚行録のCOZY922のレビュー・感想・評価

愚行録(2017年製作の映画)
3.6
【語るも愚行、語られるも愚行】
「愚行録」。そのものズバリの 言い得て妙なタイトルだと思う。自己顕示欲、嫉妬、密かに感じる優越感、日常の中の小さな報復、人付き合いにおける計算、当てつけ・・etc 。普段はオブラートに包まれている 人間のありとあらゆる愚かさを 煮詰めて濃縮し、愚行のエキシビションとして見せつけてくるような映画だ。

出てくる人が 誰も彼も愚かさをさらけ出す。けれど一方で それらの大半は現実世界の中で普通に見られる ありふれた光景でもある。「確かにいるいる、こんな人」「自分もこんなふうに人を見たりしてないだろうか?」 気分が澱むのは そんな気持ちにさせる現実味が本作にあるからだろう。そして観ているうちに やがて気がつく。他人のことを自分のフィルターをかけながら とうとうと語るのも 愚行だということを。

物語は一家惨殺事件の被害者夫婦の関係者へのインタビューを中心に進むのだが、皆 他人のことを饒舌に語る。そこで語られる被害者夫婦の人物像は はた目に見えていたものとは違ったり、語り手によっても微妙に異なるのだ。外見や家柄、出身校や肩書きなどを妬む人々。ある者はその妬み羨む気持ちを悟られたくなくて 自分はそんな人のことなど気にもとめていないと殊更に強調し、ある者は嫉妬心が高じその相手を中傷し貶めることで自分の心の安定を図ろうとする。ネガティブな嫉妬ではなく羨望の眼差しで見ていた者は 自分がよく知らない部分までその相手を美化し、自分と同種の匂いを感じていた者は「あんなにいい奴はいない」と語る。人物像が違うのは 相手との関係や立場にもよるけれど、自分のフィルター( 主観・願望 ) が 加わるからに他ならない。

1つ1つのピースやエピソードに目新しさはないけれど 次々と「語る愚行」と「語られる愚行」を目の当たりにすると、それらが現実味のある話だけに その矛先が自分自身にも向けられているようで いたたまれなくなった。いずれにしても確かなのは、人は自分のものさしで他人や物事を見ているということ。そして 他人を語る時 人は最も自分の人間性をさらけ出してしまうということだ。それも無意識のうちに。

3度の衝撃はさほど衝撃的ではなかったけれど、誰もがやってしまいがち、日常にありがちな話を積み重ねてくる アプローチはボディブローのように効いてくる重さがあったと思う。感動とか ひどく心を揺さぶられたとかいう類ではないけれど人間の 避けられない性質を取り上げた、余韻の残る作品だった。
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