Tsuneno

さや侍のTsunenoのレビュー・感想・評価

さや侍(2011年製作の映画)
4.0
この年の映画作品は、期待すればする程落胆が大きいという、大変困った特徴を持っている。脚本が駄目なのか、余程広告が優れているのか、どちらとも言いがたいが、たぶんその双方なのだろう。これって不景気と結構関係してるんじゃないかな?
不景気になると失敗できない。失敗できないから素人が脚本や演出に口をはさみはじめ、そして作品が駄目になる。
不景気だから行く先々の観客動員数よりも、目先の観客動員数に走る。だから広告制作者は、フィルムをつなぎあわせて、誤解を生む(がキャッチーな)物語をでっちあげる。
そして、でっちあげのためのシーンを制作側に要求する。「その方が売れまっせ」と言われたクライアントが一緒になって映画製作陣に圧力をかける。なーんて、負の連鎖が。
ま、こういう事ばっかやってると、そのうち僕は観なくなるよ、というのはこの間言ったとおり。

さて、裏を返せば、今年の良作は「事前には別に期待してなかった作品」だったりする。この作品も然り。松本人志は面白いとは思うが、特に思い入れもない。基本的に「餅は餅屋」だと思っているので、芸人が監督をした映画は、それがたとえ北野武だとしても観に行こうとは思わない。さや侍を観たのだって、銀行に行く時間と娘を迎えに行く時間の間に収まる作品がこれしかなかったからだ。

でも、この作品は存外に楽しめた。片意地を張ったところもなく、適度な笑いと、感動をもたらしてくれた。テーマもしっかりと伝わってきた。
この作品を語る上で重要な配役が二人いる。さや侍を演じた野見隆明と、僧侶を演じた竹原和生だ。この作品を観るまで、僕はこの二人の事を全く知らなかったのだが、ネットを巡回しているうちに、その理由がわかった。そもそも無名だったのだ。無名どころか、さや侍に至っては素人だ。そして、その関連記事を読み進めるうたに、何となく面白かった理由がわかった。

この作品は、基本的にツーアイデアで作られている。

一つは「素人に、映画であることを全く知らせずに映画を撮る事ができるか」という企画モノ。野見は、かつて松本人志が司会をしていた番組に出演していた一般人で、やはり今回とにったかよったかの企画を数多くこなしていたらしい。今回の作品も、このアイデアの延長線上にあったのだろう。実際、野見は自分が何をしているのかどころか、松本人志の企画である事すら途中まで知らされていなかったらしい。
まあ、主役に抜擢したのは、松本人志が得意な「悪ノリ」だろうけど、主役に抜擢したからこそ、凄みがあるんだけど。

プレスによれば、試写会だかプレビューだかで竹原和生の起用について質問された際、実力が有りながら世に認められない彼をみていて、少しでも力になりたかったと涙を流したそうだ。僕は松本人志と竹原和生の関係について殆ど知らないが、松本人志が涙を流すくらいだから、相当に仲が良いのだろうし、竹原和生は相当に不遇な生活をしているのだろう。
そう、二つ目のアイデアは「何かしらの機会を利用して、シンガー竹原和生をスターダムに押し上げること」、つまりこの映画で言えば、「映画というフォーマットを借りて、シンガー竹原和生のPVを撮影すること」である。実際、クライマックスシーンは、彼の本来の力を得て、今年上映されたどのクライマックスシーンよりも説得力のあるものに仕上がっている。このシーンだけを見ると、まるで彼こそが主人公であるようにさえ思える。しかし、それこそが、この作品の「からくり」なのではないか。

蓋を開けてみれば、フォーマットは松本人志本来の「企画モノ」、根底に流れるのは私人松本人志の「人情」、餅は餅屋だったのかもしれない。

そしてやはり、監督は監督が撮りたいものを撮るべきなんだろう、というのが僕の結論です。
Tsuneno

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