むらみさ

オクジャ okjaのむらみさのレビュー・感想・評価

オクジャ okja(2017年製作の映画)
4.2
スーパーピッグ・オクジャと少女ミジャは会話する。

オクジャにミジャが耳うちしそっと声を届ける、その場面は、
この映画を見終える頃にはただの、長くときを共にすれば生物をも超えた会話ができることもあるかもしれないという‘祈り’に変わってしまった気がする。

動物を食べるために育てる行為も人間のエゴイズムならば、助けようとする行為もまたエゴイズムなのではないか。
そこまで描ききったポン・ジュノ監督、信頼できる!!
って感じです。

肉を食べることなくして、われわれ人間は生きていけない(それを選択しないひとの生き方を否定するつもりはないけれど)、食肉を提供する仕事に就いている人びとと食べる人びとすべてを否定しないことには、食肉の問題にメスを入れることはできない、

内容は相当のえげつなさも孕んでいたけれど、現実とファンタジーに折り合いをつけるかたちでしか見せられない世界もありますね…

【ここからネタばれあり】
また、アメリカに運ばれたオクジャは悲惨な道筋で種付けをさせられる訳ですが、生物としておなじ種のオスと出会い時間を共にしなければ後生に子をのこすこともない訳で、、

こどもと動物の双生の画のなかに、生殖と試食の描写を入れたのは相当えげつないとは思うけれども、人間の食欲を充たすために生きるものを傷つけて食べている、そのことを知らしめるにはインパクトという意味では絶大だった。
アニマルloverの博士にやらせてるSっぷりがもう……
視覚は拒むのに、味覚は反応してしまうんだよなぁ……あの場面はむりやりでも【肉を食う】当事者の立場に立たされます。天晴れです。

はじめは家族だったオクジャとミジャが、同じ景色の下でもラストには全く異なる単純なる生物として画面中に存在しているという。
祖父も、少女も、豚も鶏もてんでんにひとつの命。
切なくもあり、それがミジャの成長にもなっているところが目に焼きつく様でした。

観る前から、きっと絶対判りやすい救いはないんだろうなぁというテーマで魅せるという異形は、監督・脚本・演者・スタッフそれぞれの予定調和を越えるなにかがないとできないのだろうなぁと。
それを追っている韓国映画業界の強さを感じました。
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