n0701

さとにきたらええやんのn0701のネタバレレビュー・内容・結末

さとにきたらええやん(2016年製作の映画)
3.4

このレビューはネタバレを含みます

「さと」とは里であり、故郷である。
それは人であり、頼れる存在そのものだ。

社会はピラミッドで、その施設は最底辺を支える最後の砦に違いない。子どもたちは様々な事情を抱えた親や境遇の下で暮している。

単身、夜勤、やむを得ない事情を抱えた家庭もあるが、様々な境遇によって「崩壊した」としか言えない家庭もある。

生活保護でパチンコ、タバコ、スマホ。
貰った金はすべて使い果たし、娘の初任給のすべてを勝手に奪い取る実母。娘が一緒に暮らせないのは、なんてことない母親がどうしようもないからだ。

軽度の知的障害の少年、おそらく発達障害だろうが、彼は底なしの明るさで明確な夢を持ち、中学に上がっても算数を復習している。自ら特別支援学校を探し、子沢山の母親の下で暮らしたり、里に行ったりしている。
彼ら兄弟の目標は「学校に通うこと」だ。

きっと悪い流れは断ち切れる。
負のスパイラルのように回りまわる環境の連鎖。

父親から虐待された母親の子どもは、どう見てもPTSDで、泣き叫んでは自我を通そうとする。母親は手を出してはいないというが、息子は家に帰りたがらない。彼もまた幼い心のどこかに何かを抱えているに違いない。

焦点は三人の子どもと、施設職員に当てられている。クモ膜下出血で倒れるデメキン。ほぼ働き詰めの職員たち。

この大阪の深い闇たる西成区の釜ヶ崎は、日雇労働の浮浪者が未だに多数横たわり、暮している町だ。

どう考えても治安は悪いし、描かれていない闇がさらに深く存在しているだろう。

描かれていない闇。

おそらく、火傷を負った知的障害児がいたし、耳の聞こえない女の子、暴力団らしき親、語られない物語には、さらに深い闇が存在しているのだろう。

だが、本当は別に珍しくもなければ、彼ら彼女らは不幸ではない。帰る場所があるということは幸せなことだし、相談できる相手もいる。

そうやって生きることは、別に誰も望みやしない。好きでそうしているわけではないからだ。たぶん、この砦がなかったら容易に格差の下位では犯罪、貧困から来る社会的な負担の増大、更なる格差の拡大が蔓延するだろう。

つまり、すでに各地で問題となり、始まっているに違いない。

その意味で映画自体は子どもたちの説明の付かない前向きさと、志や将来性を感じるのに、得体の知れない不吉な恐ろしさがあった。
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