八木

マンチェスター・バイ・ザ・シーの八木のレビュー・感想・評価

4.9
何があってもこの人生が続いていく、という人生というものを上げも下げもしない、フラットな視点でひたすら綴られたお話です。本来もうちょっと味付け過剰に、ドラマチックに、お話のくびれとして準備していてもよさそうな場面であっても、必ずこの映画では「その先のこと」について想像させながら、快とも不快ともとれない表情の主人公を中心に据えながら、ゆっくり時間を経過させます。何が起こっても、この瞬間で終わりじゃない。妻と別れたあとも、偶然町で出会ったとしても、死なない限りその人生が続いていくという呪いのような救いのような話が延々と続きます。つって、130分ちょいですけども。
主人公リーの人生を文字に起こせば、不幸てんこもりでいかにも映画的であると思います。実際、『火事』のくだりで僕はやりすぎてるような気がしました。が、これが不思議とすぐ消えた。どころか、リーの人生は、どこにでもあって、自分のようなもので、誰もが感じるところである気になってました。仕事がうまくいかなくても、恋人と別れることがあったとしても、寝て起きたらまた一日が始まる。始まると、一日を始めている。昨日までの不幸な出来事、不幸に感じすぎていた出来事、少し幸せな出来事でも、そのほかのクソどうでもいい細かな出来事であっても、「そんなことはなかった」というような表情で、また一日を始めているわけです。もっといえば「そのようなことが昨日ありました」と示す器用な表情なんて存在しない。自分のことを何もかも察してくれる他人なんて存在しない。こうやってどうやら自分は何十年と過ごしてきたのだな、とリーを通して気づかされる。何が起こっても、その人は不幸なわけじゃなくて、ただ人生がそこにあったという話なのです。
リーに限らずパトリックにしても、ランディにしても、ジョージにしても、この映画は「その人には人生がある」ってことを強く強く感じさせる。「キャラが立ってる」とかいう表現でなくて、海の面するマンチェスターで、家族や恋人や友人たちとの思い出とともに今現在生きている、という重みを感じました。
この映画で人が泣くときは、「もう泣くことくらいしかやることがない」というときです。人が生きてて泣くとき、カメラなんか回ってないし、もしかしたら誰も見てないかもしれないし、心を許せる人を前にして、体温に触れたとき、家族が死んだとき、思い通りにならないときに、静かに絞り出すように、うっかりと泣いてしまう。
「(マンチェスターにいるのは)つらいんだ」と、やはり快も不快もない表情で、パトリックに話すリーのシーンで、僕はずっと泣いていました。うまいこといかないのよな、人生は。これが映画だったら、メデタシの話ですやん。でも、この映画は人生を描いているから、うまくいかなかったんです。でもうまくいったんです。リーの人生はこれからも続くんですから。
八木

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