Habby中野

菊とギロチンのHabby中野のレビュー・感想・評価

菊とギロチン(2016年製作の映画)
3.4
菊とギロチンの登場人物は、革命家たちも、鶴竜そっくりの花菊も、十勝川も、何をも成し遂げない。少しの変化を見せはするが、精錬された映画として物語としては完全に成り立っていない。観客に寄り添う気持ちがない。だから面白くない。論理的に不完全なところがありすぎる。
でも、たぶんそれはそもそも映画的に描いていないがための崩壊だと思う。客観的な論理はあえて排除されている。全ては他人の出来事であり、現実に我々が他人を見るのと同じ目で彼らを見ている。
(たぶん)人は共同体や制度や思想の中で暮らし、そこで何かを成し遂げたり、行き場を失って絶望にかられたりして生きる。しかしその出来事の内の細かい一つ一つは、その個人にしか還元されず進行せず理解できないもので、結局は一人一人の人生に収斂していく。背負った子どもは知らぬ間にいなくなり、爆弾は田に肥やし、女相撲は取り締まられ、革命は起こらず、男と女は離れ行く。この虚しさは、自己の感知した世界と、他者に落ち行った結末の現実、「自分」という超えられない現実の結末の一つだ。その先は他者本人にしか分からない。
歴史、日本の歴史、戦争、革命思想、差別、フェミニズム。他人を思う気持ちで、何となく、崩壊しそうな思考で、作品の主題の意味を味わうことができるかもしれない。
でも、長い。知らぬ他人の人生のようなこの長さについて来られる忍耐力のある観客は恐らく少なくとも現代の日本にはあまりいないと思うし、ぼくも実際耐えることはできなかった。それでも他人が生きていることは事実だし、歴史も現実の下に聳えている。他人を理解することはできないが、無関係だと切り捨ててはならない。