ローズバッド

帝一の國のローズバッドのネタバレレビュー・内容・結末

帝一の國(2017年製作の映画)
2.0

このレビューはネタバレを含みます

CM感覚の一発ギャグ集。もっと深堀りを!


「若手男優の有望株を集めて、前時代的な熱いホモソーシャル空間に閉じ込め、戯画化された男子高校生の尻に萌える」という企画意図はフレッシュである。
昨今、流行りの「BL」要素を、一般客層にも解るように届ける。
その計画どおりのヒットをしているのだから、企画として優秀だと言えるだろう。

しかし、映画として肝心の内容のほうは、コメディ的にも、テーマ的にも、薄っぺらなブツ切りが続くだけである。
15秒間のCMのようなギャグと感情、その集積でしかない。
と思っていたら、やはり、監督はCM出身の永井聡だった。
まさにテレビCMの世界を舞台にした監督作『ジャッジ!』(2014)は、同性愛への偏見、外国人への偏見、オタクへの偏見などに満ちた、現代社会のエンタメや広告の第一線にいるクリエイターの感性とは思えないような、差別的で最低な作品だった。
本作『帝一の國』においては、さすがに差別的な表現は無かったと思うが、底の浅さは、あまり進歩していないように思う。
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まず、コメディとしてのギャグのひとつひとつが浅い。

帝一と美美子の糸電話を使った会話。
「唐突に糸電話を使う」というギャグは良いが、単発に終わってしまっている。
せっかく作った“おいしい”シチュエーションなのだから、当然ギャグをガンガン被せるべきだ。
「互いの耳と口のタイミングが合わない」とか「糸が枝に引っ掛かったのを、2人でジタバタほどく」とか「渡したり回収したりする方法が斬新」とか、いくらでもアイデアが浮かびそうなシチュエーションなのに勿体ない。

菊馬の口が臭いというギャグは寒すぎ。
切られた校旗のワイヤーを掴む帝一に、菊馬がからむシーン。
せっかく、男同士の“イチャイチャ”を見せるシーンなのだから、もっと濃厚にまぐわい、それによって、アクション映画のパロディのようなハラハラ感が醸し出せれば、もっとバカバカしいギャグになったはずだ。

選挙と、帝一vs菊馬の格闘を、別けてカットバックすることで、物語に何か意味が生まれたとは思えない。
せめて、格闘にギャグをふんだんに入れるべきだろう。
美美子の小学校以来のハイキックでの決着も、気が利いているとは思えない。

氷室の飛び降り自殺シーン。
観客は、氷室が死なないであろう事はわかっているのだから、「隠してあったマットで助かる」というのでは、まるで驚きも面白さも無い。

とにかく全編にわたって発想が貧困だ。
「海帝高校」という舞台設定は、荒唐無稽で良いのだが、ひとつひとつの笑いに、瞬間的な一発ギャグではない、人物の内心とシチュエーションに沿ったアイデアが必要だ。
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「くだらなさ」が主眼のコメディ作品ではあるが、一応、いくつかのテーマが描かれる。
しかし、どれも散漫で浅い。

まず、本作は政治風刺コメディとしての側面がある。
しかし、その風刺には現代性は乏しい。
本作が描くのは「派閥」「賄賂」といった、物語設定どおりの昭和的な日本の政治風土である。
また、自動車における日米の貿易摩擦も、いかにも昭和的なトピックスである。
公開された2017年の年末には、金銭を介さない「忖度」が流行語大賞になり、その背景には派閥政治の崩壊があると語られていた。
自動車における日米の貿易摩擦も、トランプ大統領が話題にあげ、「30年前で時代が止まっている」と揶揄された題材だ。
良くも悪くも、日本の政治風土は変化し、経済のグローバル化も進んだ。
映画制作というものには、今や将来を鋭敏に感じる感性が必要である。
設定を昭和にするのは構わないが、風刺というものは、現代を対象にしなければ意味が無いのではなかろうか。

主人公・帝一を中心に各人物の成長が、青春映画としての主軸である。
「友情の大切さ」「勝ち負けよりも正しさ」などの王道なテーマが描かれるが、ありきたりなレベルにとどまる。
ラストカット、観客に向かい帝一が「お前達が操り人形だ」と語る。
気がかりな「ひっくり返し」としては面白いが、それまでのテーマ的な積み重ねが無いため、真意が解らない、というより、真意は無いと思われる。
名門男子校を題材にするならば、「父親の抑圧からの脱皮」を、昭和から今も続く男社会(政界)へのアンチテーゼとして、もっと深堀りするのが良かったのではないか。
さらに言えば、滅多にないテーマ「エリートとして生まれた者の矜持(責務)」を描けていれば、傑作と呼ばれたかもしれない。
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テレビCMのような底の浅さを、映像表現、特にライティングに感じた。
窓から差す光などに顕著だが、印象を強める画作りを指向している。
それは、物語や感情に沿って考えられているのではなく、その場その場の画の印象が良ければよいというレベルにとどまっているのではないか。
この傾向は、邦画娯楽作にありがちで、「映画を観た」という感覚にならず、やはり、CM的な短絡的で浅い感情の表現だと感じてしまう。