えんさん

太陽の蓋のえんさんのレビュー・感想・評価

太陽の蓋(2016年製作の映画)
2.0
2011年3月11日、突如東北地方を襲った大地震が襲った。後に、東日本大震災と呼ばれることになる、この震災によって福島第一原発は全電源を喪失する。打つ手のないまま、事態は刻々と悪化の一途を辿っていく。メルトダウンの危機の中、混乱を極める政府の内情を追う一人の新聞記者がいた。。東日本大震災における福島原発問題に真正面から切り込む形の作品。事故に対応した内閣閣僚はすべて実名で登場しています。メガホンを取ったのは、「hide 50th anniversary FILM JUNK STORY」の佐藤太。

東日本大震災を取り扱った作品は、震災から5年が経った今もいろいろな形で作られています。その中で本作は震災の中でも、地震や津波ではなく、福島原発に関することに焦点を絞った作品になっています。震災当時、関西に住んでいたこともあり、震災の直接的な影響というのは受けなかった僕にとって、福島原発の問題というのは、頭の中の認識としては危機として捉えていたものの、どこかテレビの中で繰り広げられていることとして、やはりリアルな実感というものがなかったのが正直なところ。なので、機会があるごとに、あの危機というのはどんなものだったのか、テレビで枝野さんが必死に語りかけていたこと、そして、その裏に何があったのかを知りたいという思いはあったのは事実。今回はそれを確かめるための鑑賞という意味合いも、自分の中ではありました。

一応、高専のときは電気工学科という学科で、送配電や発電に関する勉強でも原子力はありましたし、大学の物理学科のときも、原子核物理や専門だったプラズマ物理の中で、核分裂に関する知識というのも勉強する機会がありました。少ない知識で理解していることとしては、原子力発電の源になる核分裂反応では、人体に有害な放射能が放出されること。核分裂反応は1つの反応から連鎖反応が起こることがあり、原子炉システムにおいてはその制御が必要なこと。制御ができずに連鎖反応が続いた場合は炉心融解(いわゆるメルトダウン)が起こり、大量の放射能が放出されること、、、くらいは分かっているつもりです。原子力発電自体はクリーンエネルギーと言われていますが、大量の放射性廃棄物を残すことからも、二酸化炭素排出という観点のみからでいうクリーンとはいえないイメージがどことなくつきまといます。そして、震災によって、冷却システムがすべて破壊され、炉心制御が効かない状態に陥ったのが、福島原発の問題の核心となっている部分なのです。

僕は、本作を観ていて、本当に怖いなと思うのは原発そのものというよりは、危機を回避し、国民の安全を守るという根幹の部分を誰も主導しない怖さのほうが恐ろしいと思いました。当時を振り返っても、国民を動かす主体は行政の長である政府なのでしょうが、民間である電力会社との意思疎通も満足にできず、双方の情報の流通さえも満足にいかなかったという実態。もちろん、政府は政府で、電力会社は電力会社で、それぞれの範疇の中で精一杯の行動をしていたのは分かりますが、お互いに自分のことに一生懸命すぎて、実は国民の側には誰も目を向けていなかったのではないか、、とも思えるのです。よく思うのですが、日本ではこうした危機管理に対し、危機そのものへの対処は迅速かつ効果的な行動をすると思うのですが、その情報を整理・選択し、国民に報道・広報する力というのが、政府にしても、企業にしても、欧米に比べると弱いなといつも感じます。その割を食うのは、末端で右往左往するしかない国民。本作でも、福島や東京に住んでいた人の視点という形で、ドラマに盛り込まれています。

ただ、政府の内幕劇としては、「シン・ゴジラ」のような切羽詰まった感が感じられないのがどうしたものか、、別にエンタメ作品ではないので、そういう面白さを引き立てる必要はないのですが、各官僚がいろいろ悩んでいる割に、その悩みの苦しさがドラマから伝わらないのは端的に描き方の詰めが甘いように感じます。お話としては、上記したようにいろいろなドラマが盛り込まれていて、群像劇としては水準以上の面白さが出ています。当時、民主党政権下の各官僚名が実名なのですが、民主党の贖罪を問うような形の作品ではないように思います(それなら、東電側も実名にすべきですし)。何があったかを素直に描くことで、反原発を声高に発信している作品のように感じました。