ニューランド

ジャック・リヴェット、夜警のニューランドのレビュー・感想・評価

3.5
以前に観たことが有ったか、どうもはっきりしないのは、回顧の会話主体の番組の必要を感じてなくて、上映の間楽しんだかが全てでは、と思ってるせいと(事実、過去何回か聴いた大寺さんの解説?には全く面白みを感じれなかった)、何回か日仏学院での上映も合う会もあったのだが、ドゥニ~リヴェット~ダネー(やドゥールズなんか抄訳でも読んだ事もない)の顔合わせにも関心なく、パスしてきた。
何の予定もなく、上映の少し前に空き席はあるかな、と覗いてたら僅かだけ空いてる(位、人気あるのかなと思ったが、見てたのは後方席の埋りだけだったと後気づく)ので、反射的に(値段も何故か変に高いのに)申し込んでしまった。しょうがないので少し遅れて入った。だいたい何時の作品なのか。てっきり誰もが認める巨匠·重鎮となってからの作品と思ってたら、予想以上に軽快·自信を身に付けてない謙虚な若者風にも見えたりさえするタイトル·ロールの作家の有り様。反して、身体の大きさがぐんと違って偉丈夫のダネーは、断定や(傷つけかねない)探りのつよさが自信に充ちてて、こっちの方が作家然としている(かわし深め広げて答えるリヴェットは、その懐ろ·かいなでしっくり受け止める)。手持ち·ズームで揺れて廻り、車窓や夜景や電車内立姿も広く引き締め、街路歩き(バイク)延々や·夜の屋外設置椅子廻りの寒さ伝わり、等ドゥニのタッチも、リヴェットの固有タッチをより純化してるエッセンシャルな力がある(TV作品の画質粗さをそのうち、武器にもしてくる)。
CU表情カットの極め(+画面外窺わせ)よりも、控え目な性格故か、退き全体の可能性や部位間や他者との関係を捉えたい。身体全体、肉体性、風景の中の全体を。それは形への拘りも超えて、形全体より広くに掴まえてく。心の淫らさも採り入れて、形だけのポルノグラフィティに陥らないSEXを対象に、ひいては、これは念願だが具体的な手立てが浮かばないままだが、絵画などの創作、その現実の全体を描きたい、絵画自体は1度も出さないべきか、画家はどうするか、細かい壁がある。ここに至って本作品が『~諍い女』直前の‘80年代終盤の撮影作と分かる。ドゥニもまだ監督としてスタートの頃か。
ダネーは、大胆な自説の確認だけでなく、「秘密(と謎)」に包まれた私生活、その「孤独」に入り込んだ内面と、作品世界が乖離してる面を問うてゆく。自らの事と重なる部分があるのか分からないが、作家性を越えて突っ込んだ大胆な質問だ。リヴェットは、柔らかく真っ正面からうけて、少しズラせるかに見えて、より大きなものを見せてゆく。作品と作品の間に中間や空白を作らねば、続けられない作風·体質である事。それは尽きることのない「好奇」が促し継続を可能としてゆく、流れ。「陰謀」「関係」が主題となり、「出逢い」、その歓びが継続させてゆく世界。私生活とは別物、その反映成り得ない。孤独では1人では創り得ない世界。(ナグラ開発は少し遅れたが)機材の発展(印象派のチューブ入り絵具ごとく)や、ヌーヴェルヴァーグ他の仲間の相互に絡む全面協力があって、歩を進められた。人によっては「倫理」に及ぶ世界。
様々なそこにいない仲間の証言や、印象的な作品群断片は、紋切りの様な気もするが、密度·作家性·はねつけのない真摯度らにおいても、一級の映画作品でもあった。やはり、初見の映画だと始まってすぐに気づき、引き込まれた。
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