監督作にしてはストレートな純愛。
しかし「消費される性」、「いたずらに堕落する性」の現場へそれぞれ押し流されたひと組の男女が蛇行する、逆説純愛。
ファビオ・テスティの出演作は意外に多彩だったのだと思い知らされた、しかし彼が演じる男の境遇を決定的に印象付ける陰惨な場面が、遅すぎたきらいあり。
それも男の目に映るロミー・シュナイダーを際立たせたいがゆえ、冒頭とラストは映画らしくシンクロしたが、全体のバランスがいまひとつでクライマックスも力不足に。
クラウス・キンスキーが関わるすべても、傍流場面に留まっていた。
本作の撮影はブリュノ・ニュイッテンではない、しかし役者の周囲を回り、逆方向に後ずさるなどそれなりに動きあり。
本作がなければ、アジャーニも『ポゼッション』に出なかったのではと邪推する…、ゆえに長らく観たかった1本、ようやく本邦初公開。
言ってみれば『ポゼッション』も、異形の純愛物語と私は解釈している。