SatoshiFujiwara

The Beguiled/ビガイルド 欲望のめざめのSatoshiFujiwaraのレビュー・感想・評価

3.8
比較するなと言う方が無理なドン・シーゲル&イーストウッド版(『白い肌の異常な夜』)とこれ。もちろん話の筋は同じだが印象は全く異なる。シーゲル版を評価する人は多分こちらに辛い評価をするだろうことは容易に想像できるが、別物だと思って楽しむが吉。シーゲルはもちろん強烈な傑作だがこれも良作と思う。結構好きです。

本作にはシーゲル版に濃厚だった南北戦争という時代背景の掘り下げた描き込みがない。遠くからしばしば聞こえる鉄砲やら大砲の音に女たちはたまに顔を上げることはあってもこれについてはまるで言葉を交わさず、それはサウンドスケープ以上の意味を持たない。

望遠鏡で屋敷のベランダから遠くを確認するすばらしいロングによるシーンが定期的に挟まれるが、それは外部から完全に隔絶したこの寄宿学校という場所を際立たせて効果的ではあれど、しかしこれもその特殊性と異常性を表現するわけではない。

黒人の奴隷も出て来ない。マーサ院長の隠され歪んだ欲望を表す実の兄との近親相姦のエピソードもまるで登場しない。冒頭から自然光のみを用いた美しい撮影が際立つが、この美しさは美しさそれ自体に奉仕する。マクバーニーが初めて晩餐に招かれたテーブルでそれぞれが交わし合う視線の遊戯は美しいが、それは女たちの淡い駆け引きを観るものに意識させるけれども、生々しい欲望と欲情の蠢きは全くない。

こんな具合にシーゲル版と比較すればないない尽くしにもなるのだけれど、そちらになくてソフィア・コッポラにあるのは美しさも醜さもひっくるめた蠱惑的な女性の世界の水彩画的な趣味の良い描写。そこに異物として不意に投げ込まれたマクバーニーはその女性たちを際立たせる添え物でしかない。だから、恐らくは原作の精神世界(読んでないけど)により忠実だと思われるシーゲル版とはまるで別の、ソフィア・コッポラの趣味性(作家性、ではない)をまんま受け入れて薄暗い食卓に灯されるいかにも儚げな蝋燭の光の美しさに嘆息していれば良い。
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