ohassy

最後の追跡のohassyのレビュー・感想・評価

最後の追跡(2016年製作の映画)
3.5
「こういう作品を生み出せるNetflixのビジネス的破壊力」


「ウインド・リバー」からテイラーシェリダンを辿って本作に。
社会性、キャラクター、サスペンス、愛が絶妙に織り込まれ、ウインドリバー同様の傑作だった。
観念的な描写だったり難解な部分もない、とてもストレートに楽しめる作品ではあるけれど、いかんせん地味というか、もし劇場公開していたら宣伝には苦労するだろうなあと思われる。
実際、ハリウッドのブラックリスト上位にずっと入っていた脚本だということで、すごく優秀なホンだけどどうすれば映画として成立させられるかと、いろんな人が挑戦をしてきたのだろう。
わかる気がする。

「ボーダーライン」は麻薬密売の最前線がまさに戦争状態であり、そんな戦場に放り込まれた素人の捜査官の目を通してスリルとサスペンスを描くことができた。
「ウインド・リバー」は、極寒の地で起こった強姦殺人事件に挑むというサスペンスに、土地、そしてアメリカの抱える闇が分かりやすく提示されており、観ている側も感情の置き所を見つけやすいし売りを作りやすい。
本作もアメリカの開拓の歴史にまつわるメッセージは込められているものの直接的な表現ではないし、強盗を重ねる兄弟も、それを追うレンジャーたちも、どちらも悪者にはできないため、やはり売り方は難しい。
しかもそれが、本作を傑作たらしめる要素だったりするので、もうこれは「面白いよ!」って言うしかない。
しかし宣伝で面白いよって言われても観る人はもちろんいない。

そこで登場するのがNetflixなのだ。
Netflixは日に日にこういう作品が増えている。
映画やドラマだと作りにくいけど面白い作品というものが、結構ゴロゴロしている。
それらを映画好きな人々が観て、評価して、評判を生み、僕らの元に情報が届くことで、たくさんの人に観られるようになる。
テレビや映画では、これができない。
テレビは収入の屋台骨が視聴率に左右されるし、後から人気が出るから我慢しろとは、スポンサーには通じない。
映画も毎週毎週たくさんの映画が封切られる中で、初週の数字が興収を決めると言われている。
例えば初週に1億稼いだとすると、その映画の最終的な興収はおおよそ2億円と予想できる。
もちろん例外はあるが、ほとんどの映画にこの法則が当てはまるのだ。

Netflixももちろん最初から話題になる方が良いだろうとは思うけれど、ジワジワずっと観られるというのも大切にできる。
ロングテールで稼げる、インターネットビジネス、そしてサブスクリプションビジネスの強みだ。
映画やテレビ業界から軽蔑さえされていたIT業界が、今や最も理想的な作り方ができるというのも、皮肉的でとても興味深い。
しかも映画界の頂点とも言えるカンヌやアカデミー賞に登場するようになっていることを考えると、その影響力というものは凄まじい。

では「映画」とはいったい何か?
これまでは映画館でお金を払って観るものだった。
もしくはビデオグラム化されたものを観るか。
しかし本作のように、劇場未公開でソフト化もされないであろう作品が、どんどん増えてくる(本作は日本未公開というだけですが)。
現状は連続ものをドラマ、それ以外である程度長さのあるものを映画としているようだけれど、それはこれまでの慣習に則った方がユーザーが分かりやすいからだろうし、作り手も作りやすいのだろう。
かつては映像は映画館で観るものだったのが、テレビになり、今はインターネットになりつつある。
ユーザーが集まる場所で作品を発表するのは自然なことだし、映画からテレビになった時に連続ものが生まれたように、今後はまた新しい作り方が出てくるだろう。
フィルムで撮るから「Film」、映画館で観るから「Cinema」だったのが、今は「Movie」でひとつになりつつある。
新たな呼び名が生まれるかもしれない。
いや、生み出さなくては。

クリスパインもジェフブリッジスもベンフォスターも素晴らしかったけれど、アルベルト役のギルバーミンガムがとても好きだった。
ウインドリバー同様ネイティブアメリカンの役どころで、とても思慮深く、優しい一方で、静かな熱を持つ。
ジェフブリッジス演じる定年間近なテキサスレンジャー・マーカスの「最後の追跡」となるこの事件で、皮肉屋で口が悪いレンジャーの相棒としてとても献身的に支えていた。
ohassy

ohassy