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ブレードランナー 2049のneroのレビュー・感想・評価

ブレードランナー 2049(2017年製作の映画)
5.0
前作公開時から続編が待望されていたにも関わらず、完全版とかディレクターズカットとかファイナルカットとか、いろいろ誤魔化されてる感に翻弄されて35年、ようやくの遭遇だ。確かに続編ではあるが、継続する時間軸での新たなブレードランナーであり、『SF映画を観た!』という満足感は充分味あわせてもらった。さすがに163分は少々長かったが。
ラストでは、”心の父”デッカードに殉じたK(ジョー)が醸し出すレプリカントの哀しみに落涙。ライアン・ゴズリングの抑制された演技が存在の不安を感じさせて好感度高い。

前作との違いとして最も感じたのは”無菌感”。相変わらず雨は降り続いているし、汚染はさらに進行、温暖化によるものか海面も上昇し巨大な堤防が街を護る。人間たちと寿命制限の無くなったレプリカントが住むのはそんなロスだ。たしかに街は汚れているがなにかキレイ。生命感が希薄だ。菌類や虫類などの有機的・生物的な汚染が感じられない。まあ植物も絶滅、虫はタンパク源として育ててるくらいだしね。一方でモドキと蔑む多数のレプリカントと共存する社会、そうした生命との距離感の違いが映像から感じられる。
もともと前作でもディックの原作とはかなり離れたテイストだったし、解釈あいまいな部分も多く、「デッカード=レプリカント説」が論じられたほどだったが、今回はカルトなんちゅう言い訳は必要ないほど、21世紀のSF映画として非常に分かりやすい。やっぱり”電気羊”は出てこなかったが・・・。

映像作品としての完成度はものすごく高い。孤立感を強調する意図か、鳥瞰アングルを多用した情景描写は不安感を煽るし、砂漠化し廃墟化したラスベガスの描写は圧倒的だ。超絶ビジュアリストとしての手腕全開、ヴィルヌーヴ監督無二の映像世界になっていると感じた。前作が「メッセージ」そして次回作にはあの「デューン」が控える。彼の画作りがいかにSF的(しかも大作系の)かという証左なんだろう。楽しみだ。

しかしホログラムAIのジョイは最高に可愛いねえ。早く実現して欲しいよぉ。

<2回目:IMAX3D>
3Dは苦手だがやっぱり大画面はいい。暗部のディティールもよく解る。
今回もジョイの最期で落涙。屋外ホロ広告も含めてジョイの描写比重は非常に大きい。レプリカントの人間性獲得という社会的進化の物語の様相が表に出ているが、ヴィルヌーヴ監督の真意はもうひとつあって、実はAIジョイの”生命”をこそ描きたかったのではないかな。オフライン(つまり自立した)AIの、そしてレプリカントも包括する”人工生命の実存”をね。これはヴィルヌーヴの「Ghost in the shell」解釈でもあり、ルパート・サンダース監督のアレ(スカヨハ版ね)への意思表明なのかもしれんわ。

さすがにIMAXは音が良い。だからという訳ではないが、隠遁デッカードが好むプレスリーの"I can't help falling in love"に対するKのアンサーソングがシナトラの"One for My Baby (and One More for the Road)"であった意味が何となく分かった。この辺りは、ラストシーンへとつながる、いかにもミッドエイジのアメリカンシネマのテイストを感じさせるシナリオだなあ。渋いぜ。

あと解らないのが、デッカードがKに問いかける「宝島」のチーズのくだりの意味。てっきりKが読んでた本がそれかと思ってたが、ナボコフだった。書名は不明、もう一回観たら解るかな。
聖書でのラケル(レイチェル)の子どものその後ってのも良くわからない。これも何か含みがあるんかな。
とにかくいろんな部分で脚本ハンプトン・ファンチャーのリベンジ意図が強く反映されている模様だ。
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