かっこ

ブレードランナー 2049のかっこのネタバレレビュー・内容・結末

ブレードランナー 2049(2017年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

感想ではなく、思ったことを書き留めるだけの単なる備忘録になってしまいそう。

ブレードランナーの世界観が、最新技術で美しく、より濃密に蘇った。
なにより、あの独特の未来像を美しく、キレイに描いているのが観られて嬉しかった。
前作より日本語多めです!ハッキリ言って変だけど、それが荒廃してアジアに押されてるこの作品の未来であり美しさなので。
前作では描くことのできない映像も、最新技術でサラッと描いちゃって。
空飛ぶ車も、ジョイも、レイチェルも、大きいジョイも、当時じゃあんな表現はできないだろう。
映像だけでなく、耳に響く音楽も世界に合っていてイイ。世界に浸れた。
ただ、時代ありきのあの汚さというか、チープさというか、グロさは再現できない。
それに、ブレードランナーが金字塔となって、それを目指した世界観、映像の作品群が作られた結果、
正統派の続編である今作に「既視感のある映像」が現れている気がする。
そういった作品群を観た後に「これが過去の名作だ!」と言われて前作を観ている僕の世代は全く問題に感じなかったけれど、
前作を公開当時に観て、当時の独特さ!衝撃!を望んでいた人々は「こんなもんだよな……」と達観、ガッカリしてしまうかもしれない。
主題はもちろん、キャラにも、シーンにも前作を彷彿とさせるもの多し。

一方、物語はどうだったのか。
レプリカント(キャサリン)が子供産んでる!
それを追うKと、それを利用して子供にたどり着いて宇宙進出に役立てたいウォレスと、Kの捜査の過程で重要参考人的に捕まるデッカードと、デッカードとずっと繋がってた、子供を証拠にレプリカントの人権革命を起こしたいフアレス率いる反乱軍……。
その過程でKのアイデンティティが揺さぶられ、観客もそれを観察、さらに共感しながら人間って何?と考えさせられる……。
前作を観ていたほうが断然面白い、というか前作ありき。
Kの行方をよく分からないながらも見守る開幕直後はともかく、
レイチェルと思しきレプリカントが絡んでくる中盤からは前作観てないと厳しい。
さらには、序盤のプロローグに始まり、大停電とか、前日譚たる作品群を見ていないと「???」なワードも飛び交う。
SF好きとしてはこういうワードにも魅力を感じちゃうけど、ハテナ過ぎても困るかな……。しかも僕は前日譚全く見ていないし。
ストーリーの核心には絡んでいないと思われるので、楽しみ、理解度が深まるアクセントか。
感情を持ち、レイチェルと違って蜂を見ても潰さず(でもなんであんなとこで養蜂してんの?)なKだけど、とにかく感情を押さえ込む。
体を震わせながらも無表情を決め込んで抑え込む。カッコイイ。極めて人間的。ライアン・ゴズリング素晴らしい。
そんなKが、孤児院の地下で自分の記憶どおりの場所で木馬を見つけて、ガタガタ震えて持ち帰り、アナ博士から「その夢は他人のものだよ(これ私の記憶じゃん涙」言われてのチクショー!そんでフレイサからの衝撃の一言。
この一連の流れは興奮した。
私含めた観客は、まず、孤児院の地下の光景を目にした瞬間にKと一緒に心が騒ぎ出し、木馬にたどり着いて興奮で震えが止まらなくなり、アナ博士の一言でKと一緒に絶叫したくなり、フレイサのお前じゃないよ宣言でKと一緒に愕然とする。共感素晴らしい。
その上、フレイサには「え?自分が特別だと思った?」とか煽られちゃってKのアイデンティティはボロボロになりながら、
最後の最後は自分の意思で命を賭してデッカードを守り、自己犠牲という人間らしさを達成して美しい雪景色に倒れ込む。
自己犠牲に至る過程のほんの一部に、アナ博士の記憶からくるデッカードへの「父を想う気持ち」があるのかも。
そうだとしても、Kの自己犠牲の意思が間違いなくそこにあり、やはりレプリカントと人間は何が違うんだ?と思わせる。
しんしんと降る雪が、自分の意思でデッカードを救い雨の中死んでいったロイ・バッティを思わせてくれる。
バッティは自己犠牲というよりデッカードに「解任」されたと言うべきだろうけど…。
バッティといえば、ラヴがバッティを思わせる破壊性を見せてくれた。何するかわからなくていちいち怖い。
ラヴがマダムを殺すところとか、バッティがタイレルを殺すシーンを彷彿とさせる。すごい痛い。
マダムの、人間代表!な感じがタイレルの一面とも重なる。

自分は特別だと思った…ら違った!なKとか、娼婦と同期してまで愛されたい(所詮愛玩製品のプログラムですが…)AIのジョイとか、とにかく創造主ウォレスの特別(最高のエンジェル!)になりたいラヴとか、
レプリカントと人間の違いって何?レプリカントも人間も一緒じゃん!そうなるとそもそも人間って何?
という分かりやすい主題に迫る登場人物が前作同様たくさん出てくる今作ですけど
これも前作から引き続き気になるのがデッカードがレプリカントなのかどうか。
これについては明言を避けていて、これは英断だと思った。何でもかんでも明かしてたら「ブレードランナー」じゃなくなっちゃう。
ウォレスのセリフも仄めかす程度に留めていて、意図的にどちらとも取れるようになっている。
ただ、レプリカント同士で繁殖できないとするとタイレル、ウォレスの野望に沿わないような気もするけれど。
「レプリ同士で繁殖できる」と「レプリは妊娠できる」ではオフワールド進出の影響度が全く変わるし。
でも、レプリカントって老けるのか?といった謎は残らないでもない。
ウォレスは「人間は全宇宙を支配すべき」というが、ウォレスの思う人間に使役される労働者たるレプリカントが自己増殖して宇宙へ広がっていったとき、それは人間の王国といえるのか、これもSF的で好きな命題。

よく分からなかった点。
Kの記憶は誰が植え付けたのか?
普通に考えると製造元のウォレスだろうけど、
「ウォレスが探しているレプリカントの子供」の記憶をウォレスが入手していて、レプリカントの子供たるアナ博士と同じ生年月日の男の子の記録を捏造なんてしないできない。
となると、やはりデッカードから記録改竄の方法を教えてもらったフアレス一味なのか。
性向を決定する、記憶の埋め込みというレプリカント製造の最重要ファクターに介入できるほどフアレス一味は強い組織なのか。
Kのチクショー!はなんのチクショー!だったのか?
木馬発見→アナ博士から記憶は本物と告げられる→チクショー!
字幕版鑑賞ですが、アナ博士は「他人の本物の記憶よ」と言った気がする。
それに対してのチクショー!だったので、そのときは「自分がレイチェルの子供だと思ったのに、特別だと思ったのに違うのかよ!」だと解釈したけれど、
前後関係考えると「俺はただのレプリカントだと思ってたし、レイチェルの子供じゃないと信じてたのに、本物の記憶ってことは俺レイチェルの息子じゃねーかチクショー!」ととれる(部屋戻ってからKのジョイに対する「お前の言うとおり俺は特別だったよ…」なセリフあったはず)。
「他人の本物の記憶」というのは記憶違いか日本語訳のニュアンスの違いなのだろうか。
今は後者と解釈して、これまでのアイデンティティが崩壊した叫び、騙されていた怒りと捉えているが……。
オフワールドには何があるのか?
ウォレスもラヴもデッカードに「オフワールドには口を割らせるものがある」「オフワールドが待っている」と語るけど何があるのか。
前作でロイが語っていた「想像もつかない」過酷な世界で、そんな地獄を生きるレプリカントを見せて「希望を与えるには繁殖できるようにするしかない」ということなのか。
それとも、オフワールドの素晴らしさを見せて、そのための繁殖の重要性を語るつもりなのか。
なんだか、「実はオフワールドなんて無くて……」ってオチが付きそうな語りぐさだったけど、そうなると別の方向のSF作品になってしまいそう。

やはり長くてまとまりのない面白くもない備忘録になってしまった。
みんながこう、色々と思いを語り合うには良い作品なのでは。
それがポジティブな感想でもネガティブな感想でも。
単純に映像と音楽も良かったのでもう一回劇場行くかも。
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