せーじ

ブレードランナー 2049のせーじのレビュー・感想・評価

ブレードランナー 2049(2017年製作の映画)
4.4
イオンシネマ市川妙典で鑑賞。
平日の午後の割にはそこそこ入っていたと思う。客層は当然というべきか、前作をリアルタイムで観てきたであろうという年代の人達が大半を占めていた。

思っていたほど、160分という上映時間に対しては、長くは感じなかった。それはたぶん、ストーリーラインの幹がしっかりと筋が通っていて、興味の持続を保ち続けることが出来たからだろう。
ただし、前作のようなド派手な世紀末感は幾分なりを潜め、その反面非常に静かで深い映像美が全編を支配しているので、そういうものを期待している人々にとっては食い足りないのだろうと思う。
個人的には、前作との繋がりがストーリーと演出でしっかりと示唆されているので、前作との映像美の違いに違和感を覚えることは無かった。もう少し汚さと猥雑さがあっても良かったんじゃないか、とは思うが。

前作では当時のレプリカントとブレードランナーであるデッカードとの暗闘のなかで「死」の悲哀さと、だからこそ貴重な「生」の尊さを描いていた。では今作はというと、文字通り"人並みに生きようとしている"ひとりのレプリカントが"人のように"「何者なのか」と「どう生きるか」を探索する姿を描いている、と言ってもいいのかもしれない。
流石に前作のロイたちのように、生きる時間の刹那さに怯えることは無くなってはいたが、その代わり"人"ではないことで馬鹿にされ、"同族"にすら忌み嫌われる環境で生きる"彼"には、AIくらいにしか心を開くことが許されない。しかも、たまたま知った「自分が特別な存在なのかもしれない」という期待は、敢え無く空手形であることが判明し、判明したにも関わらずまたぞろAIが「あなたは私にとって特別な存在」であると甘く愛を囁き"代用となる者"を使って虜にさせようとしてくる。(しかも、それすらも後で単なるプログラムの仕業だとわからせる非情な展開になっているのがなんともしんどい)
…そう、たとえ生きることそのものを掴めたとしても、掴んだ途端に世界全体が全力でそれを奪おうとしてくるのだ。それがとても切なく、どうしようもなく理不尽に思えてしまう。そして、そのような絶望したくなる世界の中で、苦闘の果てに"彼"はどうしようとするのか…
本作の結末となった"彼"の行動は、とても筋の通った"人間らしい"ふるまいだったので、静かに感動することができた。

ストーリーからわかるように、人の持つアイデンティティの確からしさとは何かが、本作の主題なのだろう。
だが、それに答えがあるかどうかは、実は本作では明らかにはされていない。何故ならそれは、あらかじめ用意されているモノではなく、自分自身の足元から後ろに続いていて、今まさに自分の両足で踏みしめることでつくり上げているものこそがそうだから…と言いたいからなのだろうと思う。ある人のレビューで意を得たが「アイデンティティを探すことそのものがアイデンティティである」のだろう。
劇中「人は信じたいものを信じる」という言葉が出てくるが、それを都合の良い言い訳とするのか、勇気ある決断とするのかは、いつだってその人次第なのだ、と伝えようとしているように感じた。

簡単ではないけれども、結末はすごく腑に落ちる、深くて切ない作品だった。
せーじ

せーじ