えんさん

ブレードランナー 2049のえんさんのレビュー・感想・評価

ブレードランナー 2049(2017年製作の映画)
5.0
IMAX3D字幕版で鑑賞の後、通常上映のDOLBY ATMOS版でも鑑賞。

2049年のカリフォルニア。貧困と病気が蔓延するこの街では、労働力として人間と見分けがつかないレプリカントが製造され、人間社会と危うい共存関係にあった。違法レプリカントを取り締まるブレードランナーのKは、人類への反乱と社会の転覆を狙うために、ひっそりと社会に溶け込んでいる違法レプリカントの検挙に勤しんでいた。あるとき、そのレプリカントの一体を処分したとき、その処分した農場からレプリカントのものと思われる遺骨が入った箱が地中から見つかる。調べると、なんとそのレプリカントは妊娠していたことが発覚する。人類の存亡に関わるこの一大事に、Kは人類の食糧危機を救い、現在はかつてあった巨大企業タイレル社からレプリカント製造を受け継いだウォレス社に捜査のため訪れる。ウォレス社にアーカイブされていた大停電以前の情報を掘り起こしていくと、そこには巨大な陰謀があったことを知る。やがてその闇を暴く鍵となる男デッガードの存在にたどり着くのだが。。リドリー・スコット監督作品「ブレードランナー」の続編。監督は、「メッセージ」のドゥニ・ヴィルヌーヴ。

先日、この映画の前作となる1982年製作の「ブレードランナー ファイナル・カット」(ファイナル・カット版は2007年公開なのですが、、)を鑑賞した後に、35年ぶりとなる続編となる本作を観ました。前作の世界は2019年という設定で、本作はそれから30年後の未来。前作はロサンゼルスの街中のみで展開するお話でしたが、本作ではサンディエゴやラスベガスの街にも飛ぶというかなりダイナミックに動く作品になっています。「ファイナル・カット」の感想文では、映画単品で見ると非常にタルい作品ということを書きましたが、本作も単品で見るとよく分からない作品になっていると思います。しかし、前作と合わせた世界観で見ると、非常に深淵で1つの感想では言い表せない・語り尽くせない作品になっていると思います。もう、何から手を付けていいのか分からない(笑)。まずは、本作を観るときは(レンタルDVDでもいいので)前作と、そしてYoutube等に上がっている、2019年から本作の2049年に至るまでの世界を描いた短編をご覧になって欲しいかなと。この作品の高評価は、前作を含めての合わせた世界観での評価となっているからです。

まず、作品のテーマというところでは、ずばり”記憶と虚構”だと思います。ある有名な方が仰っていた引用なのですが、僕自身、人生というのは究極のヴァーチャル・リアリティだと思っているのです。物心ついたときから、なぜ自分という人物がいるのかというのが僕は不思議で仕方なかった。生というのは何なのか? 死というのは何なのか? この世に生きるという実存とは何なのか? この人や世界に触れて感じる感覚とは何なのか? 哲学者や宗教家のようなだいそれたことは語れないですが、正直生きるという感覚は何なのかの問いは大なり小なり、どの人も考えることではないかと思うのです。でも、人は生き、その生き様は記憶として残る。じゃあ、もし夢というのがあるのならば、この世界の触れる感覚や頭や心に残る記憶というのは、もしかしたら夢ではないのか。。こういう自分の記憶や実存に対する疑念が、まさに本作の原作者フリップ・K・ディックがテーマとしている問いであり、本作では前作から含めて、レプリカントと人間という対峙の中で描かれるのです。

前作の主人公デッカードは人なのか、レプリカントなのか曖昧な描き方でしたが、本作の主人公Kはレプリカントとして描かれます。この設定は結構意外でしたが、映画の冒頭ではっきりそう提示されるので、KやKを取り巻く周りの世界(ホログラムで現れるジョイも含め)は人造の世界で満ちています。でも、傍目から見ると、彼らの動きやKの記憶に残っているものは人間っぽいものと変わらない。作られたものという自己感覚の中に潜む、曖昧なまでの本物っぽいような記憶の正体は何なのか? ブレードランナーという作品が人気を博すのは、人間がもっている記憶というものに依存している実存の不安定さにあるのでしょう。不安定だからこそ、そこに感情も生まれたりするのですが、その感情ですらもしかしたら作られたものかもしれない。結構トートロージーなのですが、この実存と虚構の問いが巡っていく中で、第三者的に存在している真実に(ミステリー作として)たどり着こうとするのが、ブレードランナーという物語であると僕は思うのです。

Kが捜査の果に掴んだ真実は、自らの存在をも揺るがすことがお話としては肝となっている部分。僕はこれがとっても内省的な展開で、ラストの雪降るシーンでデッカードと別れる場面は、何か静かに散っていくサムライ映画のような清々しさすら感じてしまいます。前作も日本語看板などを多用したエスチック調な未来シーンが印象的でしたが、アジア、アフリカなど様々な民族の言語・文化を未来的な形で表現していくのは本作にも受け継がれています。監督のドゥニ・ヴィルヌーヴは、「メッセージ」でも宇宙人の襲来ながらも実は人の内面への旅という印象的な作品を作り、本作の監督としてはピッタリの人選だったでしょう。映像や音楽も素晴らしいの一言。もう、何の要素でも語れちゃうほどの傑作だと思いますので、是非大きなスクリーンで体感して欲しいと思います。