K助

ブレードランナー 2049のK助のレビュー・感想・評価

ブレードランナー 2049(2017年製作の映画)
3.4
かの有名なSF映画『ブレードランナー』の続編。最近のハリウッドは、三十年くらい前の資産に頼った作品作りが散見されますが、本作もその一つ。前作の監督であるリドリー・スコットがガッチリ噛んでいるのが、安心感と不安感をもたらす不思議。ああっ、『エイリアン:コヴェナント』の悪夢が蘇るッ!(苦悩する私)

レプリカントを己の完全支配下に置きたい人間は、従順なレプリカントへの移行を進めており、旧型のレプリカントは破壊される運命にあった。レプリカントを狩るハンターであるレプリカントのKは、破壊したレプリカントの庭に埋葬されていたレプリカントの骨を発見する。なんと、その骨には妊娠した痕跡が認められた。レプリカントは子供を作れない。その前提を覆すかもしれない事実に管理局は戦慄、Kに調査の継続を命じた…。

本作の主人公は、ライアン・ゴズリング演じるレプリカントのレプリカント・ハンター、K。この、矛盾に満ちた存在を、『ラ・ラ・ランド』で光る演技を見せたライアン・ゴズリングが好演しています。あの、今にも泣き出しそうな表情が、人間にもレプリカントにも受け入れられないKという存在にぴったりなのです。
Kの理解者は、家事用AIであるジョイのみ。なんとも、遣る瀬ない設定。

汚染された地球に住む人類は衰退期に入っているのか、その街並みは『ブレードランナー』の頃と比べると、大通りこそ変わらぬ輝きですが、一歩脇に逸れると街の灯は消え、暗がりとなります。猥雑なほどであった人々の動きがない街、という絵で、時代の流れを感じさせるところは流石。
美術的には『ブレードランナー』のようなサイバーパンクだけではなく、抽象的で前衛芸術的なものも取り入れて、独特の雰囲気を醸し出しています。でも、そんなものを用意する余裕なんて、人類にはないと思うんですけど…。(煩悶する私)

予告でもウリの一つになっていましたが、『ブレードランナー』の主人公、デッカードが今回も出て来ます。が、老いさらばえたハリソン・フォードをスクリーンで目の当たりにすると、痛々しくて観てらんない。ハン・ソロよりも老けた感じが凄まじくて、過去の栄華に頼るしかないハリウッドの暗喩なのですか、これは?
ハリソン・フォード自体は、『アデライン、100年目の恋』のような役柄であればまだまだイケる俳優ではありますが、もう過去を引きずった役をこなすのは無理じゃない?、と思います。 インディ・ジョーンズをまた演じるらしいですけれど、老人虐待にならなきゃいいんだけどねぇ。

なかなか見るべき点も多かったと思う本作ですが、トータルでは満足していません。
Kの苦悩、デッカードとレイチェルの顛末、明かされる秘密、そして積もる雪を見上げながら倒れ臥すライアン・ゴズリング(敢えて俳優名で記す)。複雑な物語を、前作とは違う映像の美しさで表現したドゥニ・ヴィルヌーヴル。名のあるシリーズ作品をクソ化させたライアン・ジョンソンとは魂のステージが段違いです。

ですが、自分的には根本がダメ!
『ブレードランナー2049』は駄作。そう、言い切ってしまいましょう。

何がダメなのか。
それは、デッカードがレプリカントである、と正統な続編の物語上で断言してしまった事です。
『ブレードランナー』が名作たり得たのは、その映像美は当然として、人間と人造人間たるレプリカントの違いは何なのか。人間に造られたレプリカントは、人間と同じ存在たり得るのか。リドリー・スコット作品で頻出するテーマを、圧倒的な映像美で表現したところにその意味があったと、自分は思います。
だからこそ、レプリカントであるレイチェルと、人間であるデッカードが駆け落ちしたことに意味が生まれる訳です。

それを、デッカードもレプリカントだった、だぁ?
同じレプリカントという存在が、人間の追跡から逃れ、隠棲して子供を授かった、だぁ?
そんな物語に、感動もクソもあるかよ。
人間とレプリカント。異なる存在が、お互いを認め合い、そして新しい生命が宿った。
だからこそ、被造物が造物主に近づけるのか、というテーマが引き立つ訳で。レプリカント同士でも生命は生まれますよ、では感動ぶち壊しですがな…。(激怒する私)

リドリー・スコット的には『ブレードランナー ファイナルカット』でデッカードがレプリカントである事は示唆していた訳で、何を今更、という感じでしょうが、リドリーがどう思おうと、自分的に『ブレードランナー』の魅力は、人間とレプリカントの対比にあったのです。それを、こんな形でブチ壊されるとは。

ライアン・ゴズリングの演技的に評価してあげたい作品ではありますが、そんな訳で、自分的にはダメダメである、と言わざるを得ません。
ドウシテコウナッタ…。(泣き崩れる私)

最後に。
世間的にはAIのジョイに対する評価が高いですが、自分的にはそれを受け入れ難いのも、評価がイマイチな理由かもしれません。観客的に思い入れが出来るほどには、その魅力を描けていなかったと思うんですよね。
ジョイに限らず、キャラクターとして描けていたのはKだけ、というところも、物語的には評価出来ない理由の一つなのかも、です。
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