面白い!
あんまり評価が高くないのは、この映画が序盤から中盤にかけて「めちゃくちゃ泣ける超絶感動作感」をプンプンに漂わせるわりに、最終的には期待されているような「壮大な奇跡」や「突如明らかにされる真実」みたいなものは与えられないからだろうか。
『カメラを止めるな!』や『若女将は小学生』のように、最近はいないいないばぁ的というか和牛の漫才的というか、正体を隠して近づいて最後に心臓をメッタ刺しにしてくる殺人鬼みたいな映画が流行っているけど、これはその真逆だ。
振りかぶられた拳を見てこちらが衝撃に備えて身構えていたら、優しく頭を撫でられて肩透かしを食らうみたいな。
実際他の人のレビューを見てみると「意外とスケールの小さい話でがっかり」とか「思ったより泣けなかった」といったことがよく書かれているし、ぼくもそんな印象はすこし感じた。
ただ、予定調和が破る爆発がなかろうが気持ちよく泣けなかろうが、面白いものは面白い。
とくに最後の方の美術館でのシーンはすばらしい。
ひたすら筆談でローズがベンに自分が歩んできた道を語るだけなので地味ではあるのだけど、その語り方に現れる情報、つまり「ローズは結局読唇術も自分で発話する技術も覚えなかったけれど、それでも立派に家庭を築き、ニューヨークの街をジオラマで再現するという偉業まで成し遂げた」という事実がベンをどれだけ勇気づけるかを考えると、じわじわ響いてくるものがあるなと思った。
あと、この映画を見ると「手話」が好きになるなと思った。
聾者と健常者のコミュニケーション手段には筆談と読唇術と手話の3つがあるけれど、筆談は健常者が聾者に合わせる、読唇術は聾者が健常者に合わせるという形で片方だけに負担を強いるものだ。
少女の頃のローズはマイノリティ側に苦労を強いる読唇術を嫌うが、相手に負担を求める申し訳なさから筆談もうまく使うことが出来ず、コミュニケーションに苦労していた。
それに対して、「手話」は聾者と健常者の双方の歩み寄りによって成立するものだ。この「相手とコミュニケーションを取るために苦労をしている」という事実を前提として共有できることがいかに大事かをこの映画は教えてくれる気がした。