ケンヤム

13人連続暴行魔のケンヤムのレビュー・感想・評価

13人連続暴行魔(1978年製作の映画)
4.8
孤独な人間は自分を世界の中に規定できずに、自分対全世界という構図を決定してしまう。
主人公は、拳銃を手にしたばっかりに世界と戦う力を手にしてしまう。
彼も拳銃を手にする前までは、梶井基次郎の檸檬の主人公ように爆弾に見立てた檸檬を丸善の本棚に置くような生活を送って居たのだと思う。
そんな奴が、拳銃を手にしてしまうことは不幸だ。

主人公は世の男性性のようなものに挑戦していたのではないか。
彼は、必ず男の存在を感じる女しか殺していない。
男とやってる最中の女を殺したり、街中でナンパしてホイホイついてくるような女を殺したり、ブランドもののカバンやアクセサリーで身を着飾っている女を殺す。
セックス描写も徹底的に女性性が排除されている。
汚ったない主人公のケツを写したり、過度なアップでエロスを排除している。
喘ぎ声は乾いている。
こんなにも女を襲って殺す映画は他にないのに、エロスをほとんど感じないのは若松孝二の意図したことなのだと思う。
女を殺して殺す映画なのに、フェミニズム映画なのだ。
若松孝二は、男のために無理をして身につける女のルイヴィトンに怒っていたのだ。
ルイヴィトンを身につける女に怒っていたのではない。
女にルイヴィトンを身につけさせようと仕向ける男に怒っていたのだと思う。

無軌道な暴力的衝動に理由付けすることなく、そのまま撮り切ってしまう若松孝二。
自分対全世界という肥大化した自我を、ある種の同情をもって哀しいものとして描く若松孝二。
テロリストは哀しい。
愚かで、軽蔑すべき存在なのかもしれないけど哀しい。
この映画もそんな感じだ。
こんな映画軽蔑しなきゃいけないのかもしれないけど、哀しくて嫌いになれない。
困った。若松孝二というテロリストに強く惹かれてしまった。
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