津次郎

ありがとう、トニ・エルドマンの津次郎のレビュー・感想・評価

4.0
2016年にBBCが、世界の批評家177人の選んだ21世紀の映画ベスト100──を発表した。

ふつうだと、このての公的セレクトは、わかりきったタイトルがならんで、おもしろくもなんともないが、この選定は、2000年以降という縛り、且つ、確固たるリテラシーを持ったせかいじゅうの批評家たちの選、なこともあって、ひじょうに興味深いものだった。

上位は1Mulholland Drive→2花様年華→3There Will Be Blood→4千と千尋の神隠し→5Boyhood・・・となっていて、そうだよな、と思うことと、そうなんだ、と思うこと──首肯と発見があり、すごく参考になる100選だった。

その選において、トニエルドマンは100位に引っかかっている。
そうだよな、と思ったし、そうなんだ、とも思った。

サンドラヒュラーという女優が出ている。
ヒュラーはHだがuにウムラウトが付いてくる。それでなくてもパッと見て彼女が英米の白人でなくヨーロッパの、とりわけドイツの顔だってことがわかる。とはいえドイツ顔というものがどういう顔なのか知ってるわけじゃないんだが、不思議なもんで、けっこうハッキリわかる。

きれいな人だが、美人と言ってしまうなら、そのモノサシは日本人の持ってるのとは違う。
なんと言うか、アジア人が感ずるところのあっちの人感──モンゴロイドとゲルマンの隔たりを痛感するに足る異質感を持っている。その異質感は好ましい。そして肉感的でない──にもかかわらず、ふしぎな艶っぽさを持っている女優、なのだった。

映画は妙。変。
父娘間の葛藤を綴るコメディだが描写はリアルでもあり、コミカルでもある。
また、気まずさもある。そして気まずさは次第に大げさになる。

イネス(サンドラヒュラー)は会社業務と奇態な行動をとる父親との二重ストレスに悩まされている。

終局近く、会社のチームメンバーを招いてホームパーティーをやるのだが、直前にタイトなドレスを脱ぐのに難渋し、そのオブセッションで遂にプッツンと来る。

とっさに裸縛りのパーティーになり、それが、映画内のひとたちと、映画を見ているひとたち──を同時に不協和の渦中へ放り込む。
でも、違和はあるけれど、決して不条理ではない。笑えて泣ける話でもある。

なんで、裸になってしまうの──と思う一方で、その過剰が、快い飛躍を提供している。からだ。

ふつうの映画──という言い方も変だが、ふつうはこんな風に飛躍しない。たんじゅん比較が適切とは思わないが、日本映画だったらなおさらである。

すなわち、男性に性的アピールをする、というもくろみが無ければ、女優は脱がない──わけである。が、この映画は映画的ダイナミズムを提供したのであって、男性客にサービスしたわけじゃない。このクリエイティビティの絶対的格差──が完全にヨーロッパなのだった。

その、裸になってしまうホームパーティーは映画のクライマックスというわけ──ではないのだが、想定外の楽しい飛躍で、みょうになまめかしくもあり、記憶に残っている。

つまり裸にサービスをもくろんでおらず、父娘世代間葛藤をテーマにかかげながら、セクシーな魅力をも提供し得ていた──わけである。映画的ダイナミズムとはそういうもんじゃなかろうか。──なんてね。

BBCの100選に入っていて、そうだよな、と思い、且つそうなんだ、と勉強になった──次第である。
津次郎

津次郎