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BU・SUのninjiroのレビュー・感想・評価

BU・SU(1987年製作の映画)
3.9
田舎から上京するまだ面影幼い少女。
故郷の海、ろくに訣れも口にしなかった母の姿、トンネルを抜けた山間の町、童謡「花の街」が流れて、いつのまにか車窓から見えるのはビルの立ち並ぶ、空の狭い風景。頼りなく風に揺れるリボン、春の夕暮れどき、街の角、すみれ色の窓に泣いている君を見る。
タイトルバックまでの数分間、美しく短いカットの積み重ね。
CM作家として当時既に名高かった市川準の長編劇映画作家としてのデビュー作。まだ幼かった私が初めて市川準の映画に触れたのもこの作品だった。
ごく短い時間に凝縮されたこのオープニングの詩的な美しさは当時特にとても新鮮で、いっぺんに大好きな映画になった。後に市川自身が手掛けるCMでも、こうしたキーワード的なカットの連続によるスピード感と繋がりを重視した表現は継承され昇華されてゆく。
CM的という言葉は、ともすれば劇映画本位の側からのそうした映像作家の出自を揶揄するような表現にも聴こえがちだが、今日の本邦に於いて慣れ親しまれるCM的な表現とはそもそもが市川準が発明し、育んだオリジナルなものであり、後の「三井のリハウス」や「味の素」といったシリーズCMに見受けられる物語性は、時系列で見れば実はこの劇映画デビュー作である本作から逆輸入されたものとも言えるもの。またCMという一本の映像の時間制約の中に限定された表現から解放され、「ただの」映像作家として活き活きと劇映画のプロセスを楽しむ市川準の姿が、本作に於ける舐めるようなフォーカスの切り替えやスロー撮影などといった諸々の映像からも瑞々しく伝わってくる。
本作で取り上げられるのは、思春期の孤独な少女の心模様。並行して語られる大きな題材は「八百屋お七」、かつて江戸の街を情念のままに火の海に変えた、齢僅か十六の娘の物語。かつて少女の母は人形浄瑠璃でお七を演じ、界隈では伝説的な芸奴として名を馳せながら、愛した男と一緒になる為に東京を捨てた女であった。
富田靖子の暗い瞳、口角を1ミリ足りとも揺るがせない「BU・SU」さの素晴らしさ。その瞳の奥の推進力、しかしどこに向かうべきかを計りかねる危うさを含めた上でのリアリティは、まさに情念を想起させる。しかし情念とはいつの世も、後年それを観た人が客観的に評価をした結果をこそ云うものであり、出発の時点に於いてそれは青春期特有のひた向きさそのもの。誰に笑われても誰に諭されても、その大きな力の齎らすバイアスにより、望まず巻き込むものを燃やし、傷つけ、その結果の向こうに自らが何者かをやっと知るものである。
苦闘の果てにやっと訪れるエンドロールの富田靖子演じる麦子の笑顔、ひた向きな青春と東京を愛した市川準、この単純な美しさではなく、せせこましくもどこか懐かしい風景は、今もあらゆる場所に息づいている。
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