享楽

わたしは、ダニエル・ブレイクの享楽のレビュー・感想・評価

5.0
キャッチコピーにある、「人生は変えられる、隣の誰かを助けるだけで」というのはその通りなのだが、あくまで映画で映画であり(つまり物語は物語であり)現実にこのような関係性が結ばれる契機というのは本当に少ない。福祉国家である諸先進国によって福祉のシステムは異なるであろうが、今作における舞台イギリス北東部ニューキャッスルではまだフードバンクや慈善活動が活発であることから人々の直での触れ合いがありそれから社会的弱者個々人が連帯したいという志向性を具えていて、物語ではそれが救いになっている。
しかし日本はどうであろうか。社会的手当てとりわけ生活保護を求めに来た人間達が手を取り合って善良な関係を築き上げていく、という事態がどれだけ発生しているのか、さらに言えばそういう風に仕向ける社会的システムが存立されているかと言うと、私が世間知らずなのは承知の上今のところ見たことがない。
今作におけるダニエル・クレイグは非常に複雑な状況におかれている。彼は間も無く60歳を迎える大工で心臓病を患っている為医者から所謂ドクターストップを受けていて仕事をすることができないため役者にて社会保障を受けにくるが、なんと役所側の人間は彼が就労可能だとして手当てを与えない。就労可能なので求職活動を行えというので彼は仕方なく就労支援活動をし、何とか履歴書を仕上げやっと雇用側から面接の機会を与えられるものの(ふりだしに戻り)病気の事情により採用されない。こうしてシステムの複雑な(過程が複雑なのは作品を鑑賞すれば理解できる。少なくとも彼にとって理解し難いものであることは容易に見て取れるだろう)彼の行き場を曖昧にしてしまい、それに怒った彼は役所側を攻撃し、攻撃された役所側は彼を貶めざるを得ないといったところだ。まさしく彼が劇中で言う通り茶番なのだ。そして役所の人間は仕事人として個人を追わない。自由放任主義という名の悪だ。といっても彼らにも生活がある。結局はジレンマかと溜息が出てしまう。
一方2人の子どもを抱えるシングルマザーのケイティはロンドンという街全体から受け容れて貰えずニューキャッスルに飛ぶ。諸費用がかかるのは当然だし親としての不安から解放されるはずもなく慢性的に精神が貧しくなっていく。子どもを優先して育てあげることが最大の生き甲斐だがそのトレードオフとして自身食事を我慢したりロクに生活必需品を買えない。結果(私が強く予測していた通り)まだ20代中間という年齢にある彼女は売春業で金を稼ぐしか手段がなくなり、ダニエルもそれに苦悩する。
そしてここからは私自身の体験談も重ね、母子家庭の苦悩を描写する。
私も6〜7歳の頃から母子家庭で育ち、その頃は3〜4歳の弟がいて母親の年齢は20代中間というまさに劇中のケイティと同じような環境で育ったことがあるので、今作を鑑賞するというのは一種の嫌な記憶の掘り返し行為にもなった。
幸い私の母は父親から養育費を貰っていて売春業こそしていなかったと思うが(彼女はそのような人間ではない)、閉塞感のある社会的な連帯の薄い環境で生活していたため常に精神的余裕がなかったであろう。関係性というのは非常に複雑なもので、家族がうまくいかなかったことの原因が誰か1人に大きくあるというのは断言できない。しかし母親たるもの子どもを最大の力を尽くして育て上げたいという意志はどこの家庭の母親にもあるはずだと信じたい。そこでやはり社会的な救済として福祉の充満や社会保障の安心感というのは当然求められるのだが、それと同等に必要なのが経済的社会的繋がりの豊かさであることは強調し過ぎてもしすぎることはない。個人の気難しさという問題もあるが、それを解決できる早期からの啓蒙主義の教育や社会とりわけ雇用側の寛容の精神は大切なものだ。シングルマザーの慢性的な苦悩はシングルマザーにしかわからない(それがそのまま理解できるのは同じ環境の人間しかいない)といいうのはその通りだ。私も10代の頃は母親によく泣かれながら苦しい苦しいと訴えられていたが、当時の私はまだ子どもなので(親としての苦しみは想像し共感できるが)厳密な意味で共感することはできないという隔たりがある。離れた父親がそのままどんどん離れていってはダメだ。だいたい独身男の趣味や欲望が何だと言うのだ。独り自己享楽を営む勝手な平穏主義者は愚劣極まりない。シングルマザーの苦悩は全き他者である我々には想像しないとわからない。想像の契機すらもこういった物語という刺激を与えられないと起こらないだろう。こういう社会問題を根強く扱った作品こそ多くの方に受容されて欲しい。ヘタなハリウッド大作をみて男の欲望云々し続けている愚者は少しは社会問題を共有しろ。とまぁ愚痴ってしまった。
ケン・ローチ監督が10年代のイギリス保守イデオロギーに対して正しい左派としての見事な作品を作り上げたなぁと感慨深い。こういう作品を媒介として多くの人間が連帯できる社会を切に願っている。私が昨夜ツイートした物語志向性というのはつまりそういうことである。
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