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わたしは、ダニエル・ブレイクのhirogonのレビュー・感想・評価

4.1
ケン・ローチ監督の作品は、これが初めてです。
本作品から感じたケン・ローチ監督の印象ですが、社会的な問題に対するメッセージ性が特徴?

冒頭のダニエル・ブレイク(デイヴ・ジョーンズ)と役所の医療専門家とかいう輩との質疑応答のイライラ感。
このイライラ感が映画全体を覆っている。

本作は、生活に困窮する人たちに対して、役所を中心としたセーフティネットワークが有効に働いていない実態と役所の理不尽な対応を描いています。

ダニエルは、妻を亡くして一人暮らしの大工さん。でも、心臓の病気で医者から仕事を止められている。
給付申請をしようと役所に相談しているのですが、意味不明の質問の結果の役所の判定は、”就労可能”。
「医者から止められているのに”就労可能”とは、あなたは一体何者?」と指摘するダニエルのイライラがこちらにも伝わってくる。
これ以降も、役所の対応の酷さにイライラが増すばかり。

兎に角、役所の申請や手続きが面倒このうえなく、形式に拘る”お役所仕事”感に、ホント文句言いたくなる。
色んな申請内容、申請書類、手続きが役所担当から説明されるが、なかなか一回では理解できないような内容。
ダニエルでなくても、杓子定規な対応に不満が溜まってくる。

さらには、デジタル対応とかで、パソコンを満足に扱えないダニエルのようなアナログ世代には不親切極まりない。
苦労して申請した挙げ句が、給付条件に非該当。困っている人を助ける気があるとは思えない。
むしろ、できるだ申請を面倒にして給付を抑えようとしている?

最早、不正受給を防ぐ範疇は越えていて、本来給付すべき人達への給付もできるだけ抑えようとしているとしか思えない。
給付が最後の頼みの綱となっている人達は、給付というハシゴを外された時、どう生きていったらいいのか?
理不尽な対応に、ふつふつと怒りが湧いてくる。

ある時、役所に相談に来たダニエルは、同じように給付相談に来ていたケイティ(ヘイリー・スクワイアーズ)に出会う。
予約の時間にちょっと遅れたことで、追い返されそうなケイティを可哀相に思ったダニエルは、役所の所員に「融通を効かせて対応できないのか?」と意見するのだが…。

ケイティは、ロンドンから越してきたばかりの親子。ケイティと娘デイジーと息子ディランの母子家庭。
これを機に、ダニエルとケイティ家族は親しくなる。
ダニエルとケイティ家族の交流は、”困っている人がいたら助ける”という素朴な想いに基づくものです。
そして、その感情は、お互いを思いやる気持ちへと変わっていきます。
やっぱり、世の中の基本は、助け合い。人は一人では生きていけない!


(以下、ネタバレ)
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給付条件を満たすために、医者に止められているにも関わらず、形だけの職探しをするダニエル。
しかし、履歴書を置いてきた働き口の一つから、雇用したいとtelがかかってくる。
事情を説明して働けないと断るダニエルだが、当然、相手からは非難される。

それでも、職探しをしていることを役所には説明して給付継続してもらおうとするのだが、「証拠、証拠」と言い立てる役所に、またもや怒りが。
上のような職探しの状況で、証拠も何もあったもんじゃない。もう、ダニエルと一体になったような感覚になっている自分。
さすがに辟易したダニエルは「人は尊厳をなくしたら終わり」と役所を後にする。

ケイティも、苦しい生活のなか、風俗業の世界に身を委ねる。
ダニエルは、ケイティの家で拾ったメモを頼りに、彼女が働いている場所に現れる。
「こんなことはダメだ」というダニエル。「心が折れるから、もう会いたくない」というケイティ。
お互いのことを思いやっているのに、こんなやりとりになってしまう状況が歯がゆい。

一旦は給付継続を断念して、一人家に篭っていたダニエルだが、ケイティの娘デイジーの励ましとケイティの助けもあって、弁護人を交えて役所に再度給付申請しようとしていた。
しかし、ダニエルは心臓発作のためにトイレで倒れ、そのまま息を引き取るのだった。

ラストは、ダニエルの葬儀のシーン。
ケイティが、ダニエルが持っていた書類を読みあげる。それは、再給付申請時の資料として用意していたもの。

その中の一節、「人としての尊厳。それが無くなったら生きているとは言えない、、、」というダニエルの言葉。
ダニエルを殺したのは誰だ!?

ケン・ローチ監督の他の作品も徐々にでも見ていきたい!
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