磔刑

わたしは、ダニエル・ブレイクの磔刑のレビュー・感想・評価

3.1
「この世界は生きるに値するのか?」

冷血なシステムに支配された社会と人間性や人同士の繋がりを対比させ、現代社会における中流階級より下の人々の暮らしの実態を描いた作品だ。その試みは評価出来るし、一定の価値はあると思うが只いくつかの点でどうしても「う〜ん…」と釈然としない気持ちにさせられた。

ダニエル(デイヴ・ジョーンズ)の行く手を阻む完全にマニュアル化された社会。それに従事する人間達の杓子定規で融通の効かない考え方は確かに人間性を欠いている。そしてそれが社会に蔓延している事も日本に居ても少なからず感じる。だが個人的にはあれ程顕著で無いにしろ、あのような対応しか出来ない人間側のジレンマも分からなくもない。
貧困層が増えた事で雇用支援手当の審査を受ける人間も当然増える。じゃあそれを審査する人間が審査受ける人の数に対して満足な人数がいるのかって話だ。一人一人親身になって考えてあげたいがそれをしてたら全員に行き届くまで途方も無い時間がかかってしまうし、審査に無闇に感情を挟めば審査基準の中立性を損ない兼ねない。
結局は1人が受け持つ業務のキャパシティを大幅に超えたが為に効率を重視せざるを得ず、システムが歪な迄に厳重になり、弾かれるべきではない人も弾かれる訳だが審査をする末端の人間に与えられた決定権や許容の限度を考えるのなら仕方のない事でもある。それは劇中の「前例を作るからやめろ」って台詞が如実に物語っている。
確かにその構造自体が歪んでいるのは事実であり、問題がある事は確かだ。しかし、日々の仕事に追われながら真面目に働いているであろう大多数の末端の人間を悪人の様に描く悪意ある考え方は到底賛同出来ない。結局はそのシステムや構造を作るのはもっと上の現場や社会の実情を知らない人間なのだからそれらの人々を非難するなら別ではあるが。

ダニエルの言い分は分からんでもないがいかんせん意固地で頑なに過ぎるし、もっと友人や知人を頼り横の繋がりを重視するべきだったのではないかと思う。歪んだ社会ではあるが個人に社会そのものは変えようもないのだから少なからず社会に適応する努力をすべきだったように思え、日本における“コンビニの年齢確認ボタン問題”とよく似ている。

ダニエルやケイティ(ヘンリー・スクワイアーズ)の生活が日に日に悪化する展開も予測通の域を出ず、少なからず退屈にも思えた。
転校したと聞いて「いじめられるぞー」と思ったら案の定いじめられ、「ちゃんと就活してね!」って言われてるにも関わらず足で稼ぐダニエルを見て「おい!それ言われてた手順と違うぞ!また却下されるで!」って思ってたらやっぱり却下される始末。ケイティが怪しげな男に「仕事紹介したるでー」って言われ、「この展開は・・・」って思ってたら案の定だし。「これが現実!リアル!」って言われれば「そうか!」としか言えないが創作物として見たら随分とステレオタイプ過ぎやしないか?仕事のない女性が最後に行き着く先が売春ってベタ過ぎて逆に嘘に思てしまう。ならダニエルも臓器売買位してもおかしくないんじゃないか?
そんな不幸の幕の内弁当のバーゲンセールは“不幸になる事が前提で話が進んでいる”ような印象を受け、問題提起よりも只ひたすらに不幸話を押し付けられている気がしてならない。

安直で俗的な表現をすればいわゆる鬱映画の部類に入る作品だが、暗い映画やバッドエンドの作品は個人的には嫌いではない。しかし今作は鬱映画の根底に在るべき“この世界は不幸に満ちてはいるが生きるに値しない訳ではない”って部分が欠落しており、単に“この社会は生きる価値がない”って事を知らしめているだけでしかない。ならダニエルと同じ境遇の人達がこの作品を観た時どう反応し、何を感じれば良いのかって話で、「ほら!不幸!不幸!底辺の生活に逃げ場なし!最後は死すべし!!」って自分の人生を赤の他人に不幸のレッテル貼りされてるだけで気分を害する以外の感情が湧くのか疑問でしかない。
せめて作品のリアリティラインに沿った“希望”や“生きる意味”を示すべきではないのだろうか?

詰まる所それが本作に欠けているって事はダニエルと同じ境遇の人は作品のターゲット層では無いという事だ。
じゃあ誰の為に作られた作品かと言えば下層階級の実情を知らない上流階級やセレブ層であって、さしては本作に映画賞を厚かましくも与える事で社会の実情を知った気になり、悦に入る。または社会に理解を示している事をアピールして自分達の好感度を上げる。それが今作が与える影響の最終地点になっており、イギリスらしい何ともドス黒いブラックジョーク的である。

暗転した後にNPO法人の名前がテロップされるのではないかとすら思える程啓発的かつプロパガンダ臭漂う内容ゆえ、映画というよりは自己啓発のセミナー教材やACの長編CMのような雰囲気の作品だ。題材は意義深いし、少なからず日本の今と未来を描いているのは間違いない。だがアピールする対象が見え透いているのと自分がその対象では無かった為、琴線には触れなかった。
磔刑

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