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お嬢さんのnucleotideのレビュー・感想・評価

お嬢さん(2016年製作の映画)
5.0
男子が母親に性愛感情を持つと同時に父親に対して対抗心を抱く心的状況を、フロイトは父を殺し母と結婚したギリシア悲劇『オイディプス』(エディプス王)になぞらえてエディプス・コンプレックスと呼んだ。他方女子の場合は、父と母との関係を逆転させたエレクトラ・コンプレックスとして区別される。

人物の相関関係やストーリー展開、台詞、記号など『お嬢さん』を構成するあらゆる要素を綜合した上でフロイトの精神分析を適用すると、この物語は"秀子お嬢さんのエディプス・コンプレックス"を核に展開されていることがわかる。女性でありながらエディプスであるというねじれをどう解釈するかは結論に委ねるとして、以下『お嬢さん』を解剖しつつその論拠を明らかにしていきたい。

まずエディプスである秀子を中心とした登場人物の相関関係を整理すると、母であり後の妻でもあるイオカステにあたるのが、秀子に仕える女中のスッキである。雨の中、赤ん坊を抱いた姿で現れる冒頭のシーンと、それが孤児であるために自分で授乳ができないことを口惜しむ内なる声が暗示するように、登場シーンから母性を印象付けられているキャラクターである。そして秀子との房事に発展するに至り「私もお乳が出ればお嬢様に飲ませてあげるのに」というスッキの言葉によって精神的な母と子という関係性を明確に提示している。

次に、父ライオースにあたるのが上月公爵である。秀子に対しての絶対者である上月はその振る舞いのみならず、様々な抑圧的記号の中に特徴付けられている。例えば、男根の暗喩である蛇の鋳造(これは後のシーンで破壊される。象徴的な父殺し)や巨大なタコ、ラカン的に解釈すれば浩瀚な書物も父の記号である。そして中でも特筆すべきは地下室であろう。一般に地下室といえば、ドストエフスキー『地下室の手記』のように「自分を守る為の殻」であったり、あるいは「母の胎内」といったイメージで用いられるが、『お嬢さん』に於いてはラストで明らかになるように「去勢」の象徴として用いられている。従って「地下室のことを忘れるな」という秀子への警告は、「逆らえば去勢する」という抑圧であると読み換えることができる。去勢される不安はエディプス・コンプレックスの最重要モチーフであり、同時にこの理解によって上月と秀子の関係が父と息子へと変容する。

そして藤原伯爵を名乗る詐欺師の男は、父殺しという物語内で果たすべき重要な役割を担ったもう1人のエディプスである。作中、秀子と一時的に共謀するという物語展開から考えても鏡像関係であることは明らかだろう。

こうした登場人物たちが織りなす権謀術数の果てに、物語は「母への回帰」へと行き着く。秀子が男装していること、女性器のシンボルである船を利用することは、『オイディプス』の要請であり、映画は満月(母性、出産のイメジャリー)をラストショットにハッピーエンディング然として閉じられるが、母親と交わり子を成したエディプスの結末を知る者にとって、むしろ悲劇を予感しているように感じられる。

"女でありながら男である"というねじれの理由を、パク・チャヌク監督が直線的な対比を隠したかったからではないかと探偵した。『お嬢さん』を母親と息子の物語と言い換えた時、父親と娘というタブーに挑戦した傑作『オールド・ボーイ』と好対照であることに気が付く。自身の過去作に照応させることでそれを超えていこうとする熱い心意気を感じた。
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